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前回の更新から5ヶ月ほどが経ってしまいました。
いろいろありました…!

■ 引っ越し
 6月下旬に引っ越しました!理由はまた追々。
旧居では無料のネット回線(イーブロード)がついてはいたのですが、かなりスピードが遅く、夕方19時頃は速度測定すると0.01 Mbpsを記録するなど、ケータイの回線より遅いという散々な状態でした。
その反省を活かして、新居では自分で回線を引き、プロバイダー等を選択した結果、めちゃくちゃ快適に…! ただ最近はそれが日常となってしまっていて、有り難みを忘れてしまいそうになるんですよね…。

 もちろん、しまのためにペット可の物件を探して選びました。

■ サブ機入れ替え
 なんと、2つ前の記事に書いていた「Essential phone」を、ある日、職場の駐車場で落としてしまい、帰らぬ人になってしまいました…。
1年も使っていない…、何なら使用開始から11ヶ月目ピッタリの日だったのに…。



↑ お亡くなりになったEssential phone。画面は割れてはいない…?のだけれど、点灯しません。
いちおう、USB Type-C経由のHDMI出力で外部ディスプレイ接続はできて、中身は無事そうだったのですが、ゴーストタッチ(触れていないのにタッチパネルが反応する)が起きまくっていて、操作することはほぼ不可能でした。

 そういった経緯があり、急遽、新しいサブ機候補探しが始まりました。(サブ機をなくすという選択肢は考えていない)
本体価格が安めなこと、ある程度の性能があること、充電端子がType-Cであること…などなどから選ばれた機種がこちら。



Googleの「Pixel 3a」!
ハイエンド機種のPixel 3と比較して価格は半分程度なので、もちろん全ての性能が良いわけではないですが、性能の削り方がうまく、また、ピュアなAndroid OSが入っていることから長期のアップデートにも期待が持てます。思い返してみると、Essential phoneもほぼピュアなOSでしたね。
レビューは検索したら沢山出てくるので省きます。僕も到着するまでにいろいろレビューを見漁りました。その時が楽しいんですよね!

到着して喜んでいたのも束の間、ネットワーク関係の挙動がおかしいのに気づき(具体的には時々モバイルネットワークとWi-fiが途切れる)、サポートに連絡したところ、初期不良だと判明し、新品を再度送ってもらったりなどいろいろありましたが、無事にきちんと動く個体を入手!





↑ 撮ってみた写真。
Pixel 3aの売りはカメラ機能らしく、たしかにきれいに映る気がします。
が、メイン機のXperia XZ1 compactもカメラが売りなので、キャラ被りをしている気が…。

 SIMカードは、Essential phoneのときと同じく「ロケットモバイル」を刺して、基本的に調べ物やTwitterはPixel 3aですることによって、メイン機に刺してるSIMカードの通信量を抑制する方針で変わらずです。

 実は人生で今まで一度も使ったことがなかったのですが、「おサイフケータイ」機能もPixel 3aには付いているので、この機会にと使い始めてみました。
 沖縄だとほとんどの支払いがEdyで済むのでめちゃくちゃ便利です。チャージもクレジットカード経由でできるので、現金の出番がさらに減ります。 ただイオン系列は使えないので、WAONアプリも新しく入れようかどうか迷い中…。

 そんなこんなな日常でした。

■ 初論文!
 博士課程のほうでは、やっとこさ一本目の論文がアクセプトされました。
指導教官のT先生のお陰様でございます……。

 題名は、
Annual and lunar breeding rhythmicity in females of the terrestrial hermit crab Coenobita rugosus H. Milne Edwards, 1837 (Decapoda: Anomura: Coenobitidae) in Okinawa, Japan
です。

 検索すればアブストラクト(要旨)は出てきますが、サービスに登録していないと全文は読めません。大学等のネットからだと見れるかもしれません。琉大の学内ネットなら読めます。
 もし欲しい方がいらっしゃいましたらご連絡を!

 ただ、博士号を取得するためにはもう1本英語論文を書いた上で、博士論文を書かなければいけないのですが、まだ2本目の論文用のデータが全然出揃ってないんですよね…。
果たしてどうなるのか、乞うご期待。
(結局は自分でなんとかしなければいけないのですけれどね…)

 それでは、このあたりで!
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お久しぶりです。僕は元気です。
博士課程は4年目に入りました。通常の博士後期課程は3年なのですが、そのうち、僕は社会人ということで「長期履修制度」を活用して、2年目と3年目をそれぞれ倍々にしたことで全5年となっているうちの4年目ということ、実質あと丸2年です。…2年しか残っていない…!

 現在、オカヤドカリの論文がようやっと1本出せそうなところに来ているのですが、自身の力不足を如実に感じております。英文の作り方、論文の組み立て方、投稿の仕方、レビュワーから指摘が返ってきたときの対応などなどなどなど…。
 まだ一端しか分かっていない、いや、一端すらも分かっているかは怪しいですが、この世界もやはりいろいろ大変なのですね…。

 そして、4月1日は、平成の次の元号が発表されました!「令和(れいわ)」ですね。
僕は平成3年生まれで、元号は大人になってから変わるのかな~などと思ったりしていましたが、まさかこんなに早く変わるとは…。(いちおう27歳のおとな?にはなっていますが…。)
 しかも今回の改元は崩御によるものではないため、どちらかというと、というか普通にお祭りモード、新しい気持ちで行くぞ~!感があってとてもおめでたいことのような感じがしますね。
 昭和から平成に変わったときは「笑っていいとも」が放送されなかったりといった悲しい雰囲気・自粛の雰囲気だったとの情報もありますので、今回は(今回に限っては?)明るい雰囲気なのは良いですね。

 今まで、西暦と和暦を併用する意味はわからなかったのですが(日本の文化としての認識はあったのですが実感は伴っていなかった)、今回のことで、そのありがたみというか面白さというか、存在意義のようなものがなんとな~く分かったような気になりました。
 ただ、僕は人の年齢や自分の年齢を計算するときは西暦で考えますね。計算しやすいので。

 その他のこととしては、博士に入った時に(やっとこさ)所属した琉大写真部の部員として、沖国大・琉大の合同写真展(@沖縄県立博物館・美術館)に写真を出展したり、
琉大吹奏の後輩が設立した、猫が団長の緩く音楽を楽しむ吹奏楽団「きなこもち」でちょこちょこ引き続きクラリネットを吹いていたり、
就職のタイミングで買った車が車検をもうすぐ迎えたり、
3年次の研究室配属の際に購入した2画面の変態(褒め言葉)ノートパソコンのASUS TAICHIが主にバッテリー的な意味でもう寿命だったので、代わりにRAZER BLADE STEALTH13を買ったり(6年でものすごく性能が進歩しますね!)、

などなどいろいろございます。パソコンについてはいつかもうちょっと詳しく書きたい気もします。

このブログもかなり不定期更新になってはいますが、存在を忘れてはいないので、長い目で時折見てくださればと思います。

では!

 お久しぶりです。僕は元気にやっています。
現在、社会人3年目&博士課程も3年目(長期履修なので全部で5年)で、いろいろ大変ですが頑張っています。(海ヤドカリの研究もだけど、オカヤドカリの論文も早いこと書かないとな…。)

 今回はガジェットのお話です。
僕は結構パソコンやケータイなどの電子機器類が好きでして、おうちのパソコンはデスクトップ&トリプルディスプレイ、テレビにも組み立てたパソコン(上司に教えてもらいつつ作った)が繋いであり、ノートパソコンも貰い物を含めるとちょいちょいあります。

 ケータイは今現在、Xperia XZ1 Compactを使っています。
沖縄に実店舗のある「レキオスモバイル」のSIMカード(いわゆる格安SIM)を挿して、月々1200円ほどの通信費を支払っています。
僕の入っているプランは「5 stepプラン」というもので、1GB~5GBまで、その月々の通信量に合わせて通信費が変わる柔軟なプランです。
 基本的に家と職場の往復の生活&ちょっと出かける程度で、家にも職場にもWi-Fiがあるので、それにしています。実質は月に2-3GBくらいしか使っていませんが、仮に3GBまでの固定プランにしてしまった場合、いざ通信量がはみ出してしまった時に通信制限がかかるのがイヤだなぁ…。という思いもあります。(予防線みたいなものか。)

 そんなこんなで、今のメイン端末はXperiaなのですが、ここで最近、気になる情報が出てきました。
「Essential Phone」という存在です。
これは、少し検索すれば情報はいくらでも出てくるのですが、

・ピュアなAndroidが入っている!
 →某D◯C◯M◯の動く羊や、メーカー由来のソフトが入っておらず、本体容量(ROM)やメモリ(RAM)を逼迫しない。バッテリー持ちも期待できる。
・セラミックとチタンの筐体により、傷などに強くかつ高級感がある!
 →代わりに少し重い…
・2017年のハイエンドSoCのスナップドラゴン935が入っている!
 →性能は十分。そしてXperia XZ1 compactと同じ。
・SDカードで容量が増やせない代わりに、本体容量が128GBと十分ある!
 →Xperia XZ1 compactは32GB(に128GBのSDカードを入れている)

そして一番最後。
・米アマゾンで安く投げ売りされている
 →上記性能の割には安い。

 なんていう物欲センサー刺激されまくりなものなのです。Essential Phoneというものは。(無駄に倒置法)

 欲しい。欲しい。けど手に入れてどうする…?
と思ったワタシ。「使い方」を考えなければ、大手を振って購入なぞできない…。財布を厳しく監督する人もいないけど。
家にはHuawei製のタブレット(Media Pad M3)があり、Essential PhoneをWi-Fi専用端末として使うのはもったいない。
 であれば、Xperiaのサブ機として、Xperiaのバッテリー消耗を防ぎつつ、メイン回線のレキオスモバイルの通信量も抑えられないか?と考えました。
そこで、「激安SIM」を探しました。



↑というのも、僕の通信のほとんどは、「1. 調べ物をするEdge(ブラウザ)」と「2. Twitter(Talon)」…。LINEは家族と電話したりするので仕方がない。

 通信速度がクソ遅くても良いから、月々の料金がクソ安く抑えられるものは…!と探した結果見つけたものは、「ロケットモバイル」の神プランでした。
 詳細は調べれば情報が出ますが、最大200 kbpsというクソ遅い通信速度であることを除けば、維持費は322円(税込み)/月という安さと、直近3日間での通信量による速度の制限が無いこと、なにげに「バースト機能」(通信の最初は速い速度が出て、ブラウザ等の読み込みをスムーズにする機能)があること、などなど今回の僕の要求に取っては良いことづくめではないですか。

 

 というわけで調達しました。
仕事の出張が重なっていて受け取りに少し手間取ったりしたものの、思い立ってから1週間半程度で双方とも入手!!

記事後半はそれぞれのレビュー的なものを書いてみます。

■ Essential Phone
 いろいろネガティブなことを書かれたりしていたこともあるようですが、今は普通。というか良い。現在の日本で合法的に(電波の技適的に)Android 9 Pieが使用できる唯一の端末だったりする。
 僕が入手する数日前に日本のMVNOが(少し値段が高いけど)取り扱いを始めたり、GoogleのPixelシリーズ(最新のOSを使用できる)が日本に入ることが告知されたりと、状況が動いていました。
タイムリー!



↑Xperia XZ1 compactとの比較。しまぁは相変わらず元気で、この前7歳になりました。

 僕はこれまで「コンパクト端末こそ至高!でかい端末はケータイのくせにケータイしづらいからありえん!」などと思っていましたが、いざ持ってみると悪くないものですね。というかXperiaのベゼルが広いなぁ…。けど軽くて手に収まるのが良いという考えには変わりないです。



↑iPhone Xで市民権を得た感のある「ノッチ」(ディスプレイへのカメラ等の入れ込み)。

 画面をできるだけ広くしたいが前面カメラや各種センサーをなくしたくはないという相反する要求を実現するための苦肉の策(だと思っている)。
 実はEssential Phoneが世界で初めてノッチを採用したのだとか。
 話は変わりますが、中国OppoのFind Xという端末は「リアル全画面」で、カメラ等は必要なときにスライドして出てくるという面白いギミックがあります。8月頭に台湾に遊びに行ったときに実機を触って面白いなぁと思いましたが、結構値段が高かったので残念ながら買う気にまではならなかった。台湾いったこともブログ等に書きたいけど、またいつかの機会に。(あるのか?)



↑背面は、僕の選んだ「ハログレー」(一番安売りされている色)だとつや消しのセラミック。Xperiaのすりガラス風プラスチックと見た目は似てる。けど触った時の質感はぜんぜん違う。

 カメラ機能としては、デュアルカメラ(カラーセンサー&モノクロセンサー)で何かいいんだよ~みたいな感じで作られてますが、Xperiaには敵わない雰囲気がします。これは個人の色やコントラストの好みもあると思いますが。それとは別に、やはり専用のカメラキーがあり、半押しでフォーカスの固定もできるXperiaは強い。

 最初、アプリはほとんど入っていないので、いろいろ入れなければいけないのですが(それがいいところ)、Twitter、クーポン系アプリ(Pontaとか)、豪雨予報を教えてくれるYahooのアプリなど、「普段あまり起動しないけどあったら便利なアプリ」「常駐してバッテリー消耗の原因になったりするけどあったら便利なアプリ」をぶっこみました。下に記載する通信し放題のロケモバのSIMカードとの相性も良いです。
 なお、LINEはメイン端末のXperiaに残しています。

■ ロケットモバイル神プラン
 速度が遅いのは織り込み済みなので、そこにはなんの不満もないです。だいたい80~120 kbpsくらいは出ているようですが、Google Playでアプリを落とそうとすると20~50 kbpsくらいにまで(おそらく意図的に?)落ちてしまいます。軽いアプリなら待てば落とせるけど。

 おそらく時間帯(電波の混み具合)によって差はありそうですが、「バースト機能」により1.2 Mbps程度のそこそこ速い速度が出たりするおかげで、読み込みの最初は快適な感じ。これについてはいろいろ調べてくれているサイトもあるので、僕はあまり触れません。
ただ、Google Earthのアプリだけは例外的にバーストしまくってくれるのか、常に200 kbps以上で通信してくれて読み込みが快適です。Essential Phoneの大画面と併せて、時間つぶしに最適。他にもそういうアプリはあるのかもしれません。
 その他は、DropboxやGoogleフォトなどのバックアップ&同期系のアプリを、通信量を気にすること無く常時動作させることもできますし、Twitterを流し読みする程度なら十分にできますし、Youtubeで曲を流すくらいならできますし(静止画&音楽のもの)、結構いろいろ使えます。



↑入手してから今日までの使用量。参考までに。

そして、期待していた副次的効果。


↑メインSIMのレキオスモバイルの通信量がガクッと途中から落ちている!!


 この調子でいくとすれば、来月からはレキオスモバイルの通信量を1GB以下に抑えることも可能かもしれない?と思ったりも。

 なお、GPSの測位が遅すぎて使い物にならん!という情報があったりもしましたが、僕の環境(Essential Phone & ロケットモバイル神プラン)では全くそんなことは無かったです。
 Google Mapの運転モードを起動し、車に載せて運転したりもしていまずが、追従もしっかりしているし、ナビのタイミングも別に普通です。(Google Mapのナビの右左折の指示タイミングは個人的には少し遅いと思っていますが、それは別のオハナシ)
 おそらくは、GPSの測位が遅いと言っている人は、SIMカードによる通信速度ではなくケータイ本体の関係なのだと思っています。書くと長くなってしまいますが、その端末自体のGPS性能であったり(古いand/or安い端末だと悪い)、キャリアの端末を流用している場合、GPS測位の前段階で使用するA-GPSの基地局がキャリアSIMでないと使えないようなロックがかかっていたり(SIMロックとはもちろん別物&ゴニョゴニョすれば書き換えはできる)などなど、別の要因の可能性が高いです。

 最後に、ロケモバについては紹介ポイント制というものがあるらしく(Dropboxと同じような感じか)、SIM注文時にコードを入れれば200ポイント(=200円分)もらえて通信料に使える、みたいな仕組みになっているらしいです。
 誰のでもいいから探して入れれば200円得するからいいかな~と思ってTwitterで検索をかけたのですが、Bot(自動投稿)で自分のコードを垂れ流している人のものしか見つからず、なんか癪だったので使いませんでした。理想としては個人ブログで1・2回だけ書かれているようなものだと良かったんですけどね~。

 ということで僕も書いときます。いいのかこの流れで。 LSVDTHUZJN 誰か同じような考えの人の目に止まることを願って…

 以上、こんな感じの近況報告(サブ機を手に入れてから1週間)でした!
めちゃくちゃ語りたかったけど、語って分かってくれる相手やこれだけ時間を割いて説明したい相手がいなかったので、ここに書いちゃいました~。

 それでは、またいつかお目にかかる日まで!
(Twitterにはいつもいます)

”沖縄そばめぐり”第2弾。
那覇市首里の末吉公園のそばにあるしむじょうです。


沖縄そば。メニューも値段も忘れたが、私がこれを食べたことは確実である。
味は普通に美味しい沖縄そばだったと思います。見ての通り、そばが増しましです。

ここの魅力は、その立地・羨望と、昔ながらの沖縄が感じられる「空気感」。


古い家屋をそのまま使用したお店で、有形文化財にも指定されているらしいです。


高台にあるので、眺めが良い……見えるのは那覇の町並みとモノレールですけれどね。


観光客がズラッと並んでいたが、
沖縄そば屋は客の回転が早いので、周りをぶらっと見ていたらすぐに呼ばれます。


水がちょろちょろと。魚もいました。


ビールが冷やされていたりも。

また、駐車場が少ないらしく、スタッフっぽい人に「奥に停められますよ」と言われました。言われるがまま行くと、末吉公園の駐車場に付きます。

※お店の駐車場ではないけれども、みんな停めてる。確かにお店の人も”停められる”という情報を教えてくれただけで、「お店の駐車場です」とは言っていない。そして末吉公園に行く人は普通、この駐車場を使わない。皆幸せなパターン!!

最近の沖縄の観光地として、ご多分に漏れず、中国系や韓国系の人たちがいっぱい居ました。
座敷なので、子供を連れてのんびり…という家族連れもいたような気がします。

本日新設されたカテゴリー、「沖縄そばめぐり」の記念すべき1箇所目にご紹介するお店は、

島豚家

です。(リンクはGoogle mapです)
研究室の先生や先輩にその存在を教えてもらってから知りました。
2010年に僕が沖縄に来て2017年末現在までの約8年間の沖縄生活の中で、右に出るお店は無い沖縄そば屋です。
(1箇所目に紹介して良かったのか…?)

なにはともあれ、この写真を。



肉どーーーーん!!!!

最☆高☆
メニューとしては「特製炙り島豚そば」という名前で、1080円もしますが、それだけの価値はございます。
何と言っても、目を惹く巨大なお肉!器からはみ出している!!!
「炙り」という名の通り備長炭で炙られているとのことで、炭火ならではの香りを感じられます。
(一般的なオハナシとして、フライパンよりもガス火での網焼きの方が、さらにはそれよりも炭火でも炙りのほうが美味しいですよね。)

肉だけと侮るなかれ。
お出汁はカツオの濃厚な味が感じられ、
ゆで卵(昔は全卵だったのが今は半分になっています)も美味しい。朝取れのやんばる鳥の卵らしいです。
麺ももちもちで最高。
かまぼこや、昆布巻きも、良いアクセントになっています。

極めつけは「器」までこだわっていて、やちむんの里の作品が使われているそうですよ。

惜しむらくは、昔はそういうアピールを書いていたメニュー表が食券機導入にともなって、なかなか見づらくなったことでしょうか。

とにかく私個人的に最高の沖縄そば屋ですので、定休日に注意して(※日曜祝日、木曜がおやすみ!!)、是非行ってみて下さい。

文章から分かるかもしれませんが、かなりの回数行っており、お店の人にも顔を覚えられています。



↑ じゅーしーもおいしい。上のお肉は、炙り島豚肉を食べた後では見劣りしてしまうけど…。

そんなこんななハイテンションで始まったこのカテゴリー。
おそらく、このテンションで書くのは今回だけだと思います。
次回からは普通に紹介します。

次回お楽しみに!
(写真撮影:2017.07.22. Nikon D750)
お久しぶりです。
今年の5月7日から放置しっぱなしでした。
ちょくちょく、琉大の入試関係の検索で来てくれる方がいるようで、古い情報になるかとは思いますが、何かお役に立てれば嬉しいです。

さてさて、私は社会人2年目、ドクター2年目として、なんとか生きております。
カメラでもちょこちょこと写真を撮りに行っていますよ。

カメラといえば、昨年12月にフルサイズの一眼レフデジタルカメラ、Nikon D750を購入したのは記憶に新しいですが、10月には、RICOHのGR2を購入してしまいました。


↑ じゃじゃーん!

仕事の出張で米国へ行く機会があったのですが、
「(海外にでかい一眼を持っていくのは盗難とか故障とかが心配だな…、よし!APS-Cサイズのセンサーを装備しながらもコンパクトなGR2を買おう!!)」と思い、購入しました。
入手の翌日、「折角ならアメリカに一眼持ってきて!」(意訳)と会社で言われ、結局両方とも持っていくことになったのは、誰にも言えないヒミツ。
※仕事での写真撮影のため持参を要求されたですが、現地で故障等あったら実費で保障してくれるとのことでした。安心あんしん。

GR2についてはネットの海を検索すればいくらでも情報が出てきますが、簡単にまとめると、

・撮影素子(フィルムにあたる部分)のサイズがAPS-Cと、大きめ。(フルサイズよりは小さい)
・本体がコンパクトで、かなり持ち運びやすい
・その代わり画角が28mmで固定。ズーム不可。(デジタルズームは35mm, 48mmの画角で可)
・マクロモードで、接写もそこそこいける
・起動が早い

このくらいが特長・利点ですかね。
また、ウィークポイントとして感じたのが、

・フォーカスが遅い、マニュアルフォーカスがし辛い
・フォーカスが合いづらい(使い方か…?)
・レンズ表面の加工のせいか、逆光に弱い(Nikonのナノクリスタルコートと比べたらダメか…)

そのくらいですかね。
まだまだこれから使っていくので、両者ともいろいろ出てくるかもしれません。

さて、今年からは博士2年ということで、研究も始めていっています。(1年目は「まず仕事に慣れる」ということで、ほとんど自分の研究はしていませんでした。)
月相(新月・上弦の月、満月、下弦の月)に合わせたサンプリングを夏(オカヤドカリの繁殖期)に行い、それ以外では満月に海へと繰り出しています。

修士論文を英語に翻訳して1本論文を書こうとしているのですが、そちらがなかなか遅々として進まない…。先生からはまだ??と急かされているのですが…。
サンプリングしているオカヤドカリ達も解析待ちですし、「海のヤドカリ」たちの研究も進めなければいけません。
(博士で出す論文の中身の話になってくるので、ここくらいまで…。)

そして、9月からジムに通い始めました。
中学・高校・大学と吹奏楽部で、運動には全く縁のなかった僕が、どうして…?
といいますと、8月頃に返ってきた健康診断の結果が今ひとつだったためです。
父親に見せますと、「アルコールの飲み過ぎ、もしくは運動不足による脂肪肝気味」と言われまして、
アルコールは一人ではそんなにグビグビ飲まないし、運動不足の方か…。と判明しました。

思えば、朝起きてから車に乗りドア・トゥ・ドアで通勤。仕事中はほぼ座っていて、実験で歩いたとしてもせいぜい数十メートル。そして帰りは車と、運動不足では無いと言う方がおかしいくらいの生活を送っていました。

というわけで、(数年前から筋トレをしている父親の後押しもあり、)ジムに通い始めることにしました。
と言っても、「いきなりいろいろな器具があっても分からないだろう」ということで、北谷にあるパーソナル・ジムでマンツーマンレッスンを受け、その方法を月額制の別のジムで実践する、という作戦をとることにしました。

9月から北谷のパーソナルジムでムキムキの先生に「足」「胸」「背中」「腕」をそれぞれ教えてもらい、
食事法まで教えてもらった後、泡瀬にある月額制ジムへ10月から通い始めました。(ちなみにパーソナルジムも現在追加でお願いし、不定期で行くことにしています。)

最初は筋肉痛がひどくて湿布を貼りまくっていたのですが、慣れてくると筋肉痛が快感になってきますね。(変態ではない)
なんというか、「これだけトレーニングで筋肉に効かせられたんだ」という実感というか…。

「筋肉は裏切らない」というフレーズをどこかで聞いた方もいらっしゃるかもしれませんが、
僕は以前まで半分馬鹿にしてたんですよ。でも筋トレを始めてからは「(真理だ……)」となっています。

食事で色々考えるのも楽しくて、続けられそうな感じがしています。
ちなみに体重は3ヶ月で4kgほど落ちています。落ち幅としては微妙かもしれないけれど、80kg台を下回ったのは個人的に大きい…。適正体重くらいには持っていきたいですね。その後に筋肉量の増大かな。

筋トレのお話はそれくらいにするとしまして…。
半年以上書いていないといろいろ書きたいことが溢れてきますね。

活動状況についてチラホラと書いていくとしましょう。
まず、ご存知Twitter (@signofnight )では毎日元気につぶやいています。(一時期のツイ廃度合いからしたらマシになったと思う)
また、家で飼っている愛猫「しま」のアカウントもあります。(@Shima_osaka )ここではしまの写真を思い立った時に垂れ流しています。しまぁ~

あとは写真関係で、インスタグラム と、Photohito というサービスでも写真をちょいちょい上げております。
どちらかというとインスタはテキトーな中に真面目な一眼もありますよ、という感じで、Photohitoは一眼で撮った中でのお気に入りを保管・公開する場所という感じですかね。

今思い立ったのですが、最近、いろんな沖縄そば屋を回っているんですよ。
それを紹介する記事・カテゴリーなんてブログに作れたらいいかな、と思いました。
というわけで、作ります。
更新をお楽しみに!

それでは!
お久しぶりです。
何ヶ月かぶりの更新ですね。
僕はいつも通り、元気に生きております。

 就職したのがいろいろあって2016年5月のGW明けだったので、そろそろ働き始めて1年ということになります。
 今の会社では、楽しく充実した仕事をしています。
出張で内地に頻繁に行くのですが、1泊2日程度のことが多いので、たいそうな準備をせずに気楽に飛べて良いですね。また、しまの世話が1泊2日であれば餌を多く入れておけば大丈夫だというのも大きいです。(去年5月の、1ヶ月間の本社研修の際は吹奏楽部の後輩に面倒をずっと見てもらっていました)

しまぁ

↑ しまぁ

 上の画像、きれいな気がしませんか…?高精細な気がしませんか…!?
そう、昨年12月に、念願のデジタル一眼レフカメラ、NikonのD750を購入しちゃいました!!!

 今までずっと写真には興味があり、琉大学部生の頃は、今はなき「ネイチャーフォトクラブ」に所属しておりました。
カメラ遍歴を書きますと、

・Panasonic DMC-FX07
 →ある正月の時に、母方の祖父母から景品で当たったのを譲ってもらったもの。
この機種専用の防水ケースを購入しているので、水中ではまだ現役。

・CASIO EXLIM EX-ZR200
 →学部3年次くらいの時に、自分で選んで購入したコンデジ。
CPUを2つ(デュアルコア?)搭載していることにより、連射に強い機種とのことであった。
連射機能を応用し、HDR(ハイダイナミックレンジ合成:白飛び・黒つぶれを抑える合成手法)ができるのも強み。

 上記2機種です。両方ともコンデジ(コンパクトデジカメ)ですね。
バッテリーが消耗したので、双方一度ずつ新しいのを購入して、今でも使える状態にしてあります。(パソコンデスクの机の上に置いてある)

 そんなカメラを持っているのですが、僕には不満がずっとありました。

「星空を撮影したい…!」

 そう、センサーサイズの小さいコンデジでは、星空を記録することができなかったのです。
- 以下センサーサイズの説明 -
センサーとは撮影素子とも言われる電子的部品で、「フィルム」に相当する部分です。
その大きさ(センサーサイズ)が、コンデジでは1/2.3と言われるサイズで、小さいのです。
ちなみに、写真に強いと謳っているSonyのXperia Z1~でも、同様の1/2.3サイズです。ケータイにしては頑張っている。

 星空を写すためには、センサーサイズが最低でもAPS-Cと言われるサイズより大きく無ければいけないと知りました。
いわゆる「デジタル一眼レフカメラ」にも、センサーサイズで大きく2種類に分かれており、前述の「APS-C」、そして「35 mmフルサイズ」と言われるものです。

 フルサイズがフルサイズと言われる所以は、昔使われていた「フィルム」と同じくらいのサイズだかららしいですね。(それよりも大きい、"中判"とか"大判"とかは考えないことにします)

- センサーサイズの説明以上 -
 さて、就職して、学生の身分では到底購入することができなかった「贅沢品」であるデジタル一眼レフの購入の検討を始めました。
 いきなりカメラを買う人はともかく、自分は写真が好きだという自負があったので、「APS-C」サイズではすぐに不満が出てしまうだろうと思い、「フルサイズ」の購入を考えました。

 次に考えたのはメーカー。
やはり、レンズの選択の幅の広さから、大手の2社:CanonとNikonで考えることにしました。
そして候補に上がったのが下記4機種。

・Canon 6D
 プラス:値段安め。質量が軽い。
 マイナス:フォーカスポイントが少ない。特に高性能なフォーカスポイントは中央1点のみ。内蔵フラッシュ無し。ファインダー視野率が100%で無い(=ファインダーに入っていなかったものも記録される)。

・Canon 5D MarkⅣ
 プラス:6Dのマイナスポイントが無い。
 マイナス:値段高い。ちょっと厳しい。

・Nikon D810
 プラス:最上位機種を除き、Nikon最高画質と謳われる。シャッター音が良い。
 マイナス:質量が重い。値段が高い。

・Nikon D750
 プラス:質量軽め。持ちやすい。チルトモニター(上下にモニターが動かせる)。Wi-fi付き。
 マイナス:シャッター音がD810より軽め?

 …という感じで、値段的なこともあり、最終的にはCanon 6D v.s. Nikon D750となったのですが、機能の内容でNikonに軍配が上がりました。
(ちなみに、仕事をしている本社では上司にNikon使いとCanon使いが居て、難しい判断のところもありました…w)

 人を撮るならCanon、風景を撮るならNikon、などと言われたりもするようですが、実際は現在だとあまり変わらないらしいですね。好きなのを選べば?と言ってくれる人もいました。

 そして、レンズです。
デジタル一眼レフの醍醐味といえば、レンズを付け替えることにより様々な焦点距離や表現を変えたりできることです。(合体・変形は男子ならロマンですね!)

 最初はカメラと一緒に、
・24-85 mm f/3.5-f/4.5のキットレンズ(本体とセット販売されているレンズ)
・50 mm f/1.8
を購入しました。

 わからない人には何がなんやらと言う感じだと思いますが、
~~mmは「焦点距離」といい、映し出せる範囲を示す値で、小さいほど広角(=広く写せる)となり、大きいほど望遠(=遠くのものを大きく写せる)になります。
 24-85 mmはいわゆる「標準ズーム」と言われるあたりで、人の視野見たままをだいたいカバーするものです。

カンヒザクラ

↑ 24-85 mmレンズで2月に撮影。宜野湾の民家に咲いている立派なサクラ。

 fというのは「f値」というもので、「絞り」を示します。難しい話は調べてもらうとしまして、この値が小さいほど「被写界深度(=ピントの合う範囲)」が狭くでき、さらに「明るい」レンズになります。一眼ならではの「ボケた写真」を撮ろうと思ったら小さいほうが良いのです。
大雑把に書けば、「小さければ小さいほど良い」と思っていただければよいかと思います。

 50 mmのレンズは、単焦点レンズと言われるもので「ズーム出来ないけれど、描写はピカイチ」と思っていただければ良いです。<font="small">(チャージできない代わりに色んな所が高性能な”ワゴンスター”を思い出しますね)

2月のひまわり

↑ 50 mmレンズで2月に撮影。通勤途中に見つけた北中城の向日葵。

 その上記2つのレンズを使っていたのですが、「50 mm」の描写力&ボケ味を知ってしまうと、「24-85 mm」の表現には満足できなくなってしまうものです。(ズームするために、やはり光学系に無理を生じてしまい、比べると描写が甘かったりするのです。)
 しかし、やはりズームできるのは便利なもので、旅行などではズームレンズをつけっぱなしにすることが多々ありました。

 ここで、魔の声が囁くわけです。
「大三元を買ってしまいなよ」と…。

 「大三元」とは、カメラ業界では有名な単語らしく、
「広角ズーム」「標準ズーム」「望遠ズーム」のそれぞれ3種類のレンズの最高峰のものを指します。NikonもCanonも似たようなスペックで存在します。

 2017年4月、イオンライカムで試写させてもらった10日後、買ってしまいました…ヽ(;▽;)ノ
まさか自分でもこんなに早く買うとは思わなかった…。大三元のうち、標準域をフォローする「24-70 mm f/2.8」です。最新のVR(手ぶれ補正付き)のモデルです。

 カメラ本体よりもお値段が高いんじゃね?という感じのレンズですが、もう大満足してしまい、ほぼほぼこれを付けて撮影に出かけています。 性能と引き換えにとても重い(レンズだけで1070 g、カメラと合わせるとほぼ2 kgになる)のですが、それだけの見返りはあると思います。筋トレしなきゃ。

木陰でおやすみ

↑ 件(くだん)のレンズで5月5日にうるま農園で撮影。

 それと実はもう1本レンズを買っていまして、14 mm f/2.8のレンズです。
これは数字から分かる通り、「超広角レンズ」でして、とても広い範囲を写せます。
こちらのお値段はそれほど高くなく(と言っても焼肉20回くらいは行けちゃう)、サードパーティ製(Nikon純正ではない)のレンズです。オートフォーカス機能が無い代わりにコスパが良い。

Samyang(サムヤン)というメーカーのレンズで、名前の通り韓国製のものです。
 これの出番はもちろん「星空」。広い範囲を写せて、かつf値も小さいのでなかなか活躍してくれます。

天の川と愛車

↑ 人生初の天の川撮影。デジカメの液晶画面で確認出来た時には感動したなぁ。
この日は4月下旬の日曜日の夜で、翌日にお仕事があったのにも関わらず、「新月付近」で「天気が良く」て、「これからしばらく先は曇りや雨の予報」だったため、愛車を駆って深夜に伊計島まで撮影しに行ったのでした。
 行ってよかった…。(翌日はコーヒーを大量に飲んでましたが)

 というわけで、5月7日現在、4本のレンズを所持しております。
最強の24-70 mmを標準として、時折星空用などに14 mmを使っていくスタイルになるような気もするなぁ…。

 ちょくちょく写真を貼っていますが、「PHOTOHITO」というサービスに、特に気に入った写真を投稿してますので、よければ見てくださいね。( http://photohito.com/user/profile/113658/
また、Twitterにもちょくちょく現像前の写真などを上げていて、そちらもモーメントに保存するようにしてあります。そちらも是非。

 さてさて、久しぶりの更新の割に、近況報告というよりカメラのお話になってしまいました。
そんな感じで僕は元気に生活しております。
大学院のほうも、今年度から本格稼働を始め、4月にオカヤドカリの採集許可申請書を出し、夏前からちょくちょくとサンプリングに出かける予定です。そちらも頑張らねければ。

 では、このあたりで!
ご無沙汰しております。
このブログのことはチラホラと思い出してはいたのですが、なかなか書く習慣がなかったもので、放置してしまっていました…(;・∀・)

 今自分は、年末年始ということで実家に帰省してのんびり過ごしております。
そういうわけで、ブログ記事も書けそうな感じですねー。

 さてさて、今年の更新は
・「就職活動記1(または、2015年度のまとめ)
・「2016.3.21~25 修士卒業旅行!(九州北上)

 の2本で、このブログの記録としては、修士2年の段階で就活が決まらず、そのまま九州縦断北上の卒業旅行を決行した、という報告で止まっているわけです。
 Twitterの方には逐一いろいろ書いているのですが、それを自分で後から見返すこともしないし、何より余分な情報量が多くて大変なので、こちらにまとめて書こうと思います。

- - 就活体験記2 - -

 卒業旅行終了後、僕は、念のため受けておいた博士課程にそのまま進むことにしました。
その理由は大きく分けて2つあり、まず、「身分を持たないまま彷徨うのが嫌だったから」で、内部進学だったので入学金等が必要なかったことから、学生の身分を維持しておくためという部分がありました。
そして、やはり「沖縄に来たのは、オカヤドカリの研究がしたかったから」という理由があり、こうなったのは研究者になるための運命だったからではないか…と思った、ということでした。
(それにしては、学振も通っていないし、理学的な興味すぎる研究=水産など人類の繁栄に直接の利益がある研究ではないことから、生活基盤をどうするか、という問題はあるのですが)

 旅行から帰った時点で、「ドクターに進みつつ、就活は並行しておこなう」ということは決めており、様々なウェブサイト等を見て、情報を集めていました。

 とある医療系の企業で研究職を募集しているのをWebページで見つけ、履歴書を封筒で送った後の日、それとは別の企業(水産系の案内役など)にいくつか目星をつけ、ハローワークに紹介状を貰いに行こうとした道中のことです。
 もうハロワが本当に目と鼻の先に来たところで、最初の封筒を送った企業から電話が入ってきて、面接の日程を組んでもらうことができました。正直ハロワで紹介してもらおうとしていた企業は気が乗らなかったので、その日はそのままお家に引き返しました。

 そして忘れもしない4月5日、琉大の入学式の日です。
僕は面接用のスーツに着替え、時間的余裕があったので、まずは琉大の入学式を見に行きました。
吹奏楽部の後輩たちがアトラクション演奏を行っているからです。
一応、自分もD1の新入生ではあったのですが、入学生用の席では無く、保護者席で演奏を聞いた後、面接へと向かいました。

 面接では都合上、いきなり社長さんと、上司となる男性の方との2対1の形式で、様々な話を率直にしました。…沖縄に来た理由や、その企業に目をつけた理由(環境や生物系では無くて医療系な理由)など、そしてできれば博士課程でオカヤドカリの研究も同時におこないたいことなど。

 なんとその場で良い返事をいただくことができました。
Skypeで本社と繋ぎ、挨拶?をしたりなどなどしましたが、その時の方が画面越しだったこともあり緊張したような…。

 その後、来客の準備を手伝ったりなんかしたりもしました。
今思えば、博士課程で、職業とは全く別の研究をさせてくれる企業というのはかなり珍しい気がします。
公務員系や某財団でも、面接時に正直に全て言っていたのですが、普通はそういう人は取らないような…そんなことが少しわかった気がしました。偶然、懐の深い企業を見つけることができたのは「縁」的な何かがあったからなのかもしれません。

 今現在、世間で騒がれているような「ブラック企業」ではなく、僕自身の精神状態も入社前から持っている普段通りのものですので、良い企業に巡り会えたと思っています。

 面接終了後、琉大で新入生説明会があったのでそのまま帰りました。
道中、親にすぐ報告したのですが、喜んでもらえました。(ただ、北予○の件があったので、まだ完全に安心しているという感じではなかったですが…、それは僕もです)

 研究室に戻った時にも、先生に報告を入れ、博士課程はそのまま継続するということを伝えました。
 D1では長期履修制度が(申請のタイミング上)使えなかったので、D1は普通の学生として。そしてD2とD3は制度を使いそれぞれ倍々に伸ばし、「D1×1, D2×2, D3×2」の計5ヵ年計画で博士号取得を目指すことを決定しました。
 そして、1年目はまず仕事に慣れるために、研究活動は行わず、修論の英語化をすすめることと博士研究計画を練ることをおこなうことにしました。

 後日、会社で打ち合わせが4/11にあった時に、内定通知書を渡してもらい、無事入社決定の証拠を入手することができました。

- - 本社研修(5月) - -

 GW終了後の5/9に正式に入社しました。
そして、関東にある本社で1ヶ月間の研修を受けました。

 会社がマンスリーマンションを借りてくれて、そこに研修中はずっと住んでいたのですが、
夜23時になると横のおっさんのイビキが薄い壁を通じて聞こえてくること、風呂の排水口が最初詰まっていて清掃に来てもらわなくちゃいけなかったこと、建物が結構古かったこと、部屋が一人暮らしするのにギリギリな広さだったこと、フライパン等の食器類がなかったため実家からのホットプレートや現地調達した紙皿で対応するしかなかったこと、そしてしまが居ないこと、を除けば、
商店街も活気づいていて、本社へのアクセスもそこそこ良く、場所としては良かったなぁ…、と思います。また唐揚げを買いに行きたい。(マンスリーマンションはもう結構ですが…。)

 研修と言っても、研修担当会社が入ってきて人格否定されるような感じのものではなく、(ニュースを見すぎてかなり身構えていました)、普通にできることをお手伝いするような感じでした。
 今でも思い出せます、
入社初日に1時間早く来たら誰も来て無くて、始業10分前に人が来るまでずっと前で待っていたこと、
上司に「一番大事な仕事をお願いしよう」と言われて、ラジオを流すことのを任されたこと(緊張しているのをわかって言ってくれたのだと思います)、
本社で終業後、空きっ腹にお酒を入れてかなり酔ってしまったこと、
後は論文翻訳したりとかシュレッダーしたりとかテプラ作ったりとかある事業の提案書をまとめたりとか……。もはや懐かしい。

 後は、終業後に琉大吹奏の先輩と待ち合わせてお酒を飲んだり、休みの日に後輩たちと江ノ島や熱海まで遊びに言ったり、一人で山梨までレンタカーでドライブして温泉旅館に泊まってのんびりしたりなどなど、結構エンジョイしておりました。↑ 知らないおばちゃんが写り込んでしまっている…。

 そして研修は無事終了し、沖縄に帰ることができたのでした。

- - 沖縄でのお仕事、そして車乗り換えなどなど - -
 6月頭に帰沖しました。
そうそう、僕が居ない間しまのいるアパートには、琉大吹奏の1つ下の後輩が住んでくれて部屋の維持管理およびしまのお世話をしてくれていました。

 帰った時、1ヶ月ぶりだというのに普段通りの対応で笑ってしまいました。
忘れ去られていなくてよかった。( ´ ▽ ` )ノ

 所属していた吹奏楽の一般団体「ウインドオーケストラオリオン」は、職が見つかるまで4月から休団していたのですが、研修が1ヶ月間あるということで帰沖後に復帰しました。

 そして、車についてです。
就職も無事に決まったことだし、さらには部活をしていた時と比べて大型楽器も載せないし、一人で乗ることの方が多くなっていたので、この機会に少し小さな車に乗り換えることにしました。
 実は車種には検討をつけていて、3月の帰省時点で試乗したりはしていたのですが、例の(北○備の)一件があってからは凍結してしまっていたという経緯もあります。

 乗り換えのための準備は研修のあった5月中にしており、
新しい車側の話ではディーラーと保険や受け渡し方法や日時、その他諸々の話をしたり、
古い車側の話では、運良く車を探している後輩が居たので、彼に受け渡すための話を進めていたりと、我ながら色々頑張って動いていました。まぁ自分のことなんですけれど。

 沖縄に帰ってきたその足で空港からタクシーでディーラーまで赴き、そこで受け取ったNew車に乗って自宅まで帰ったのでした。

 12月末の現在、その車は半年と少ししか経っていないのにもかかわらず走行距離が10000 kmを超え、なかなか楽しくドライブしております。(通勤でも結構使っているけれど)

 仕事では、研究職らしいことを沖縄に来てから始められ、6月中にいきなり対外的なプレゼンを任されたりなど、色々頑張っていました。

- - 夏季休暇や出張の話、そして石垣など - -
 夏季休暇は、夏季期間中、5日間を自由に取得できるということで、今回はつなぎ合わせて実家に帰省しました。4月に一度帰っていたのですが、社会人になってから初めての帰省です。名刺も渡せて、やっと大人になったんだなぁ、と自分で実感していた覚えがあります。
 大阪のカービィカフェにも行けて満足まんぞく。

 出張は実は結構数多く、頻繁に飛んでいるのですが、だいたい1泊2日の日程で済むことが多く、個人的には助かっています。
 移動自体は確かに体力も時間も消費して大変ですが、なにぶん、僕は家にしまを置いていっているので、あまり長期間部屋を開けることができません。
 それが、1泊2日ならば、餌を少し多く入れておくだけで、誰かに面倒を見てもらう必要も無く対応できます。1泊2日バンザイ。

 9月、琉大吹奏の同期たちと石垣島へ遊びに行きました。 きれいな海をグラスボートで見れたり、竹富島で水牛車に乗ったりなど、エンジョイしまくりました。

 そして、東京のカービィ・ミュージアムや国立科学博物館に行くために深夜便に乗って0泊2日を強行したり(終電を逃して時間を潰すために一晩中歩いたりなどの思い出も…)などなど、旅行にも行ったりしました。


 さて、そのような激動の2016年でした。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 来年は、まずオカヤドカリの採集許可申請を出したり、長期履修の申請を出したりするところから始まり、研究を行うための準備が動き出します。
 目標は、仕事と研究の両立。大変そうですが、自分で選んだ&選ぶことのできた道です。覚悟を持って臨んでいきます。

 実際、仕事も面白いし、生活のためのお金を自分で稼いでいるということも生きがいになっていますが、オカヤドカリの研究を続けられるということも嬉しい生きがいです。そのどちらを失っても、今の僕はいろいろ厳しい状況になる気がします。

 急いで書いていたので、後からちょくちょく直すかもしれませんが、今日のところはこのくらいで!
では!
2016. 12. 31. 0:55
去る2016年4月14日より発生した、熊本や大分を震源とする大きな地震の被害に遭われました方に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を、心からお祈り申し上げます。

この記事は、そんな災害が起こるほんの1ヵ月前に僕が九州を旅行した時のものです。

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 卒業!
2010年、18歳の春に沖縄に来て琉大に入学してからはや6年。4年次の時には吹奏楽部の同期達と神戸・大阪を旅行したのが懐かしい。(その時の記事を書いていなかった…もったいない…)

 2年ぶりの卒業ですが、卒業は卒業。どこかへ行きたい!何かをしたい!
就活はいろいろあって失敗に終わったけれども、もう飛行機も車も予約している!ここで行かなかったら絶対後悔する!

 というわけで行ってきました。九州。
その計画とは…

”鹿児島から福岡へレンタカーで北上する”

 というもの!
琉大吹奏の同期のうち、2人が鹿児島、1人が大分に居て、その人たちと遊ぶ(会う)日にちだけは決めていましたが、それ以外は、どこへ行くかも何を見るのかも、はたまたルートさえも未決定。
 放浪の旅へのあこがれってありますよね。まぁレンタカーの存在のおかげで安心感は格段にありますけれども。

 5日間かけて無計画に北上するという旅の性質上、よほど気心の知れた人としか一緒に行くことができません。
 同期達はもう働いているし、それ以外でこんな旅を一緒に行ってくれる人なんて居なさそうだったので、結局一人で行ってきました。

 そして、旅の中で自分ルールを設定しました。 なぜそうしたかというと、せっかく旅行に行ったのに現地のご飯ではなくコンビニでお腹を満たすなんて勿体ない、と思ったことと、あといつもの自分のiPodの曲しか聞いていないと普段と変わらないじゃん、と思ったこと。そして… ということが挙げられます。
人との会話に関しては、まぁ飲み屋や散髪屋などでコミュ障を発揮せずに普通に話せたので僕にしては及第点かなと言ったところかな…。
 それより、この旅を終えてからラジオにはまってしまって、沖縄に帰ってからもラジオを車で聞くようになりました。ずっと自分の世界ばかりにこもっていたのですが、ラジオっていいですね。ラジオっ子になりそう。

 というわけで、旅行のはじまり!

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1日目:沖縄→鹿児島→宮崎

 那覇空港から鹿児島空港に飛び、レンタカーを借ります。
借りたのは、コンパクトな乗用車(Bセグメント)のトヨタ・ヴィッツ!
軽自動車も考えましたが、長距離を走ったり、高速道路を走る可能性があったり、車中泊の可能性があったりするかも?などなどの面から小型乗用車にしました。
トヨタの車には慣れていたので、マツダ・デミオあたりが当たると別の物が体験できていいなーと思っていたのですが、ヴィッツでしたとさ。

 1.3lエンジンを積んでいるまぁまぁなグレードのものだったのですが(詳細は忘れてしまった…)、そこそこいい子でした。燃費が良くなるようにチューニングされているのがよく分かる走り方をしていました。踏み込んでもあまり反応がよくなかったりとか…。走る楽しさはうーん…という感じでした。
 しかし、最後には燃費が20km/lを超えていたので、まぁそこはよかったかな…。

 鹿児島空港から、鹿児島中央駅まで車で移動、さっそく琉大吹奏の同期2人と落ち合いました。
「金斗雲」というお店でラーメンを食べ、「らさら」で抹茶スイーツをいただき、向かった先は…



ひらかわ動物園!

 動物園って久しぶりな気がします。
沖縄にも「こどもの国」がありますが、あまり行かないですしねぇ…



カバを間近で見る機会もなかなかないですねぇ

 動物園で1人とお別れし、もう1人の友人と鹿児島中央駅に戻ってきてからは、あみゅプラザをぶらぶらしていました。



「キディランド」にて。カービィのグッズが大量にあったので結構買ってしまいました。カービィ好きなんですよね。



 夕食は、あみゅプラザ内のおそばやさんで!
卵焼きもおいしかったです。

 そして友人と「次は沖縄で」などと言いつつ別れ、北上を始めました。
ルートをどうするのか迷ったのですが、結局、鹿児島→熊本→宮崎→大分→福岡、と行くことに決めました。
とりあえず、熊本に向けて出発!





 宮崎県のえびの市に入りました。
その時点で結構遅い時間になっていました。熊本まで行ってから一泊しようと思っていたのですが、このあたりで手を打つ必要がありそうです。

 とりあえず、いい感じの温泉旅館…の横にある温泉に入り、道の駅で車中泊をしようとしました。
ところが…寒い。しかも、外灯の当たらない場所にはすでに先客が車中泊をしていて、なかなか入り込めそうにない雰囲気が醸し出されていました。

 ビジネスホテルでも探すか…、と少し走らせてみたものの、見つからず。
というわけで先ほどの温泉旅館に戻り、素泊まりでおいくらほどするのかと聞いたら、やはりなかなかのお値段とのこと……さすが。
 予算がそれほどなく、いくらいくらくらいです…というと、旅館の息子さんが「ちょっと遠いけどビジネスホテルあるよ」と言ってくれた直後、女将さんがそれでいいよ、とまけてくれました。いきなりの優しさに涙が出そうになりました(とまでいうと言い過ぎかもしれませんが…)



すごく…上等です



しかも夜食まで作っていただけて。

就職のお話などをいろいろしていたのですが、いきなり優しい人々に会って感動しつつも、疲れのためすぐに寝てしまいましたとさ。

【移動記録】--

2日目:宮崎~熊本~宮崎

おはようございます!2日目です!
お世話になった宿を後にしました。朝の温泉も素晴らしく、(いつか将来、ちゃんとここで一泊しよう)と心に決めました。

 さて、熊本へ向かおうか、と思ったのですが、道の途中で床屋を見つけたので入ってみました。沖縄で切ろうと思っていたのですがタイミングを逃していたんですよね。
そこでもお話をして楽しんで、出発。ご夫婦で営んでいるお店だったのですが、出際、奥さんが、「わたし、別府出身なのよ」とおっしゃっていました。大分から、宮崎の南の端っこかぁ…すごいなぁ…と思いながら手を振ってさよならしました。



遅めの朝食。えびの市最後のご飯でした。
した道で行くか、高速で行くか迷いましたが、今回は高速で熊本へ行くことにしました。
熊本城、阿蘇山とめぐりたいところが結構あったので、ここで移動に時間を費やすのは得策ではないな、という判断でございます。



桜と熊本城!
何気に人生初めて?の熊本城です!
道中のラジオで、今日が桜の開花日と知り、すごく運がついてるなぁ…と感じましたねぇ。



先ほどの桜は少し早咲きの品種だったらしいですが、こちらはちゃんとした(?)ソメイヨシノ。沖縄に居るとこのハラハラ散る桜を見ないので、なんだか懐かしかったですね。これぞ日本の心やぁ…

熊本城を後にし、とんかつ屋で昼食をとり、お次は阿蘇山に向かいました。
道中、”大津町(おおづまち)”と”西原村(にしはらむら)”があり、滋賀県大津市に実家があり、沖縄県西原町にある琉大に通う身としては、なんだかうれしいものがありましたねぇ。

標高が高くなってくるにつれ、植物が姿を消し、土肌しか見えない荒涼とした風景になってきました。



到着!



ここから先へ行くと火口が見れる…ハズなのですが、警戒予測が出ていたため、ロープウエーでも車でも上ることはできませんでした。残念…。またいつか安全な時に来たいですね。

昭和の感じが残るロープウエー乗り場には、いきなり団子や火山灰ソフトクリームなどが。

お土産を物色したのち、下山しました。
九州の西側から阿蘇山に登ったのですが、降りるときは宮崎がわ、すなわち東側のルートを使いました。

道中、ナビに見たことのある名前が出てきました。



「天岩戸」神社…!

あまり日本史や神話などには詳しくない僕でも名前くらいは聞いたことがあります。(宇宙戦艦ヤマト2199を見ていた人なら1話の暗号文でも名前がでてきますね!)

というわけで見てきたのですが、写真からもわかる通り、日没後かなりの時間が経っていたため、もう見学などはできない状況でした。残念。ただ、”行ったぜ!”という妙な満足感のみ得られました。

そのあと、そばにある「天岩戸温泉」に入りました。
でも…なんというか…ふつうのお湯だったような……?えびの市の温泉の方が個人的に良かったなぁ…という感想でした。



そして、なんとかかんとか宮崎県の延岡市にたどり着きました。
もう車中泊は諦めて、ふつうのビジネスホテルを探して入りました。やっぱり体力をちゃんと回復しないと日中の運転も危なくなりますからね。

 延岡市のホテルの周辺は、なんというか…飲み屋がちょっとあるさびれた(というと失礼ですが)大通りのそばで、「駅周辺」か「町中」の二択で「町中」を選んだ僕のミスだったなぁ…という感じでした。
 それでも、歩き回って何とかいい感じの個人店の居酒屋を見つけ、鳥の炭火焼きとお酒というごちそうにありつくことができました。



んもう最高。

焼き鳥といったら…まぁふつうはビールですが、せっかくだったので、清酒や芋焼酎とともにいただきました。そんなこんなな感じで、2日目は終了!

【移動記録】--

3日目:宮崎~大分

3日目です。おはようございます。
今日は、大分に夜までに着いていればよかったので、のんびり下道で移動することにしました。北浦に来ました。
道中、ここの道の駅にはリュウグウノツカイのはく製がある、とラジオで言っていたので探してみたら…ありました。
一時期、何かで取り上げられて以来、ダイオウイカやリュウグウノツカイは有名になった感はありますが、ここのものはそれ以前からずっとあったみたいですね。



塩田などもさかんだったらしく、塩の彫刻などもありました。

さて、宮崎県を後にし、大分県に入りました!
そして、”道の駅かまえ”へ!


かわいいイセエビ

ここには、琉大吹奏の同期の友人からおいしい海鮮丼があるという話を聞いていたので、来たかったんですよね。



うおおおおおお!
いろいろな刺身があって美味しかったですね。大分県のかぼすを食べて育った「かぼすヒラメ」なるものの刺身もあったらしいのですが、そちらも気になりました。次に来たらそれを食べたいですねぇ。宇和島のみかんブリみたいな感じなのかな。結局、また下道を通ってのんびり北上しました。

-- (ここは本筋には関係ない独り言なので、読み飛ばしても大丈夫です) --

 道中、ちょっと考えていたことがあるんですよね。ちょっと哲学的かもしれません。

熊本市内などはビルなども多くだいぶ栄えているけれども、宮崎や大分の山奥では人と自然が共存している…というかゆっくりと自然に飲まれていくような印象がありました。

 ここで思い出したのが、”宇宙戦艦ヤマト”の「ガミラス」と「イスカンダル」の関係。わからない人はごめんなさい。
 ガミラスは、”自らの欲望に忠実”な立場・星で、イスカンダルは”滅びゆく星と運命をともにする”人・星として劇中では描かれています。どちらが良い・悪いもなく、ただそういう立場があるんだなぁ…という感じなのですが、栄えている町と、自然に近いいわゆる「さびれた」場所にも似たようなものがあるかもしれない…と思いました。

 そして、そもそも、地球上で人間が活動している意味は何だ…?と思いました。
意味、というか人類はどこへ向かっているのか?何が目的なのか?というところですね。

 地球が駄目になったときのために、どこか違う惑星に移住できるために科学技術を進めている?
それも結果的にはありえるかもしれませんが、もちろんそれだけではないはず。

 途中の考えはいろいろ説明も難しく、面倒なので省いてしまいますが、「個人が個人の幸せを追い求めている」のが、活動する目的ではないのかな、という考えに至りました。
 まぁ毎日楽しく過ごそうかな!という気持ちになったのでしたとさ。

----- 独り言おわり -----


 さて、大分市内に到着しました。この後、琉大吹奏の同期の友人と合流して、



とり天!(=いうなれば、大分風から揚げ…?)くし盛り!鶏たたき!



日本酒(鷹来屋)!



馬刺し!!

たらふく食べた後は、駅の中の居酒屋に行って、



琉球!(刺身とごま油)



ぎょろっけ!(かまぼこのコロッケ)

と、2軒目でも食べまくって、その日はお開きとなりました。

 宿泊したのは、駅前のビジネスホテル。
部屋数かタイミングの関係上か、1人分の値段で広いお部屋をゲットできてラッキーでした。

【移動記録】
--

4日目:大分県内

 この日は、友人と大分県内を遊びまわりました。マックカフェで朝食をとったあと、



まずは、うみたまご水族館!ペンギンは美ら海水族館にいませんからねぇ。久々に見ました。セクシー。



子供コーナーにあった貝殻。これに入って写れば皆ヤドカリになれますよ!



水族館なのになぜかナマケモノが。生で見たのは初めてかもしれません。
本当に全然動かなかったです。あ、でもおしりは掻いてたかもしれない。

 次に甘味茶屋へ行き、昼食とデザート。



「だんご汁」なるものを食べました。だんご、というか平べったいうどん?みたいな感じですね。あとそれにきな粉をまぶした「やせうま」も食べました。右奥のが僕の食べたもの。



名前は忘れましたが、チーズもち揚げ、おいしかったです。



そしてデザート。抹茶おいしかった。

お腹を満たした後は、宇佐市にあるアフリカンサファリに行ってきました。



こんな感じの檻バスの中に人が入って、動物たちに餌をあげられるという!
これも何気に人生初?小さいころに行ったことがあるかもしれませんが、記憶には…ないですね。 動物の餌やりも迫力があって楽しかったですが、個人的にもっとテンションが上がったのはキャットサロン。
ここでは、様々な品種の猫たちと触れ合うことができました。



友人作のコラージュ。
すり寄ってくる猫ばかりではないのがなんだかいい感じでしたね。気が立ってる猫に手を伸ばすと噛まれそうになったりするのがリアルでよかったです。そう、ライオンもネコ科。ちっちゃいライオンが居てかわいかったです。
さすがにほかの猫たちから離されていて、人間も見るだけでしたけれども。

その後、別府まで行き、温泉に入りました。
源泉かけ流し?で、普通にひねるとあっっっついお湯がシャワーから出るのを、自分で冷たい水を入れて温度調節するのが新鮮でした。
風呂上りに温泉卵も食べました。あれ、なぜ殻の中まで色が変わってるんでしょうね。硫黄が殻を通って中にまで浸透しているのか…?



地獄釜っていう名前がすごい。
絶えず蒸気が上がっていました。



地獄蒸しプリン。蒸すときに温泉の蒸気を使ってるんですね。
味は普通においしいプリンでした。


 遊んで食べて食べて食べてもう夕方。友人とお別れした後、福岡へと向かいました。
この日は、もう福岡まで行ってしまってそこで一泊し、翌日の朝に空港へ行くだけにしよう、と決めていたので、大分市から福岡市内へ結構急いで行かねばなりません。

 というわけで高速に乗ったのですが、途中でガソリンの残量が少ないことに気付きました。
最初は、福岡までは行けるだろ~、と考えていたのですが、高速に乗っていたせいかメーターの表示の癖か、消費が激しくて途中で給油しないと危ないな、という状況になりました。

 サービスエリアで一度駐車し、これから先のインターチェンジで降りた先にすぐガソリンスタンドがあるところを探し、ひた走りました。

 残量計が点滅してかなり経ったころ、なんとかたどり着くことができました。
大分県日田市のインターチェンジ近くにあるガソリンスタンドです。まだ大分出てなかった。

 せっかくなので、ここで何か食べていこうと思い、入ったのは…



うどん屋さん!



「金比羅(こんひら)うどん」という名前のようです。上に大量に乗っているかつおぶしが特徴的ですね。
醤油をかけつついただきました。おいしい。

 さてさて、そんなこんなでガソリンも僕のお腹も満たされたところで、福岡を目指しました。そして到着。

 例のごとく、宿を探そうとしたのですが、時刻は日付が変わるか変わらないか。
春休みのせいもあり(?)、全然ホテルが空いていませんでした。
それでも何とか電話で空室のあるところを見つけ出し、チェックイン!

 ここでもなぜかとても広い部屋に通され、布団セットも3つあったのですべて重ねてふわふわな寝心地を作り出しました。
 修学旅行生がいる、とのことだったのですが、鉢合わせることは少なく、静かに過ごせました。
温泉にも入れて満足まんぞく。

【移動記録】あ、高速道路で佐賀県を一応通過しました。これで九州は、長崎県以外一応通ったことになりますね!


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5日目:沖縄へ

 この日は、朝にまずレンタカーを返しました。 結構走ったなあ…と思っていましたが、1000kmは到達してないんですね。プリウスなら無給油で走破できたかも。

 その後、徒歩で福岡空港まで行き、お土産を物色して、帰沖!
自分用に、ネクタイを買ってみちゃいました。柄などに九州要素は微塵も無いふつうのネクタイですが、僕の中では九州旅行の思い出となりました。結構おしゃれな感じで気に入ったのです。


 大きな事故やトラブルもなく、結構楽しんで旅を終えることができました。
もっと時間があれば、もっとゆっくり1県ずつ訪れたかったですね。あと、今回行くことのできなかった長崎。こちらもぜひ行きたいです。
次に大きな休みがあったら、四国に行くのも楽しいかもしれませんねぇ。


 さてさて、学生最後の旅行。この時点ではそうだとは思っていなかったのですが、満喫いたしましたとさ!
就職活動記としてまとめて記事を上げます。それに伴う、僕自身の大学入学からの思いや状況なども書いていこうと思います。(今回の記事は本当に個人の記録用という感じです。その点ご了承ください。(。。)ペコッ)

 ちなみにめっちゃ長いです。しかも2本に分かれます。続編の”就職活動記2”は2016年5月に入ってから書きます。


 2015年のブログ更新が少なかったのには理由があります。…そう、就活です。
このブログ&自分の性格上嘘は書けないし、ぼかして書くにも限界があったので…。「ありのままに現在進行形で書く」より、「後からまとめて報告する」方法を選びました。なので更新できなかったんですね…。

-- 大学・学部生時代 --

 小学生時代は「医者になるー!」などと言っていたのですが、中学入学後から成績はどん底を這い回っていて、高2の頃には医学科などと言える身分ではなかったのです。
 そしていざ進路を決めるとなった時、自分が興味を持ってずっとできることは何か…?と探して、見つけた/思い出したのがオカヤドカリのことなのでした。
 彼らの生殖行動(放幼生行動)は新月・満月に合ったもので、時間生物学的なところに興味を持ったのでした。

 大阪の高校を卒業後、2010年に琉球大学 理学部 海洋自然科学科 生物系に入学しました。
 そのときは将来の職業についてはぼんやりと「研究者になりたいな」としか考えておらず、今思うと恐ろしく無計画だったのですね。

 1年次~3年次前半あたりまでは、共通教育(教養)科目をうけたり、吹奏楽部に入って楽器を演奏したり、車でドライブしまくったりと、大学生活を謳歌しておりました。
 3年次後期になり、希望する研究室に配属されてからは、当初からの野望(?)であったオカヤドカリの研究を始め、卒業研究では、「沖縄本島に生息するナキオカヤドカリCoenobita rugosusの生殖の季節性と放幼生行動」という題名で、

1) 組織学を使った繁殖期の推定(組織学:プレパラートを作成して細胞を観察するもの)
2) 放幼生行動の観察・記録
3) 1日における場所の違いによる出現個体サイズの変化の記録
4) 光(明暗)に対する行動の変化の記録

 …などを行い、最後のポスター発表で無事卒業の要件を満たすことができました。

 そして卒業時には、学部長賞をいただくことができました。
これは、生物系の中ではGPA(成績)がトップだった、というもので、もちろんいただけて嬉しいではあるのですが、実際自分は教職の単位(学校の先生になるためにうける講義)や、学芸員資格取得のための講義をうけていなかったため、GPAが落ちづらかった結果取れただけなのかもしれません。
 ちなみに、残念ながら各学部から1名ずつ選ばれる「学長賞」は逃しました。 学校の成績に加え、講義に全部出席していたり、課外活動などで優秀な成績を収めているなどなど、さらにプラスの条件が必要だったようです。

-- 大学院1年次(M1) --

 さて、学部の卒業後、僕は何の迷いも無く琉大の院へと進学しました。正式名称は、「琉球大学大学院 理工学研究科 海洋自然科学専攻」。
 どうでも良いことなのですが、個人的に「漢字で長い所属を言う/書く」というのがカッコイイな、などと大学入学時に思っていたのですが、院のそれは学部のものより長い文字数だったのでした(17字→21字)。 まぁ履歴書を書くときにはそれら両方の入学&卒業(修了見込)を記入するので、手間が大変でしたが…。


 閑話休題、院に進んだのは、「オカヤドカリの研究者になりたい」という大学入学当初から思いがまだあったことと、「せっかく沖縄に来てオカヤドカリの研究をやらせてもらえてるんだから、学部の1年半だけで終わらせるのはもったいない」という思いからでした。

 修士1年目では、琉大吹奏にちょくちょく顔を出したりして(学部1年次のふりをして混じってから正体を明かして驚かす伝統も…。趣味は良いとは言えないですね)楽しみつつも、1ヶ月に1回のサンプリングやその処理、夏には集中的に行動観察等に行ったり、冬にも実験をやったりして、ほぼほぼ修論が書ける状態にまでデータを蓄積しました。

 修論は大きく2つに分かれており、

1) 生殖年周期の記録(卵を持つ個体の割合、卵巣重量の割合、組織学の3つによる)と、「繁殖期」を引き起こす環境情報の特定
2) 放幼生行動の記録(及び、産卵のタイミングの特定)

 といった感じで、卒論とは違って生殖の研究に特化しています。(卒論では日内行動:1日における行動の研究がありました)


 「1年目でほとんど研究を終わらせた」みたいな感じになっていますが、正確にいうと、M2に入ってからは就活(勉強)のため、実験がほとんど出来なかったというのが実際のところですね…。1年目にいっぱいやっておいて良かった感があります。


-- 就職活動記 --

 やっとこさ本題です。
 M1の夏から、就職のことについてやっと、本当にやっと考え始めました。
その頃には、「ヤドカリの研究職はやばい、というか絶対無理」というのは分かってきていて、何が「やばい」のかは、少し調べてみれば良いことだったのですが、それまで自分には無関係だと思っていました。(今考えると恐ろしい)

 自分は、生物の研究をするならオカヤドカリだけ、という妙なこだわりがあり、何故かというと、他の生物種の研究をする、となるとモチベーションが全く出てこなかったからです。(いろいろな研究結果を知ったりするのは好きですけどね)

 生物の研究というのは職が限られていて、さらに自分の興味のあるオカヤドカリに関しては、企業や水族館の研究職に入るわけにもいかず(そもそも研究対象としてあまり見られていない…。ヤドカリ自体の論文も少ないし)、ポスドクとして各地を任期付きで転々とし最終的には大学の助教のポストが空くのを待つ、といった未来が想定されました。

 そんな現状で、果たして自分は生涯をかけてオカヤドカリ研究をする覚悟はあるのか、研究を仕事として成り立たせるのか、そして自分はいつまでオカヤドカリへの興味を持続させられるのか、
 …などなどといった現状や不安から、研究職へのあこがれ、というか自分が研究者になろう、という思いは薄れていきました。…いや、あこがれはありますね。できれば好きなことを研究して生活していたい。けれども現実的でない…と自分は考えました。


-- 大学事務 --

 さて、では何が良いかな、自分には何ができるかな、と考えてまず出てきたのが「大学事務」でした。
 もともとパソコンを使った事務作業は得意だし、大学の研究を裏から支えられる仕事というのはとても良いもののように感じました。それに、研究のこと(研究職に関するあれこれ)については修士に入っているということで、少しは分かっているという部分もありました。
 それに、琉大の事務に就職できれば、今所属している研究室にも通うことができ、「趣味的に」研究を継続できるかな、ということも良い点でした。あわよくば社会人博士課程で、論文博士になりたいな、という野望もありました。(その博士号で研究職になる、ということでは無いです…)


 大学事務は、「国立大学法人」が地域毎に募集・試験を行います。
法人化される前は公務員であった名残か、1次試験では公務員試験の様な一般教養(40問・2時間)が出題されるという情報を得て、M2の4月から、公務員試験の勉強を始めました。

 大学事務の1次試験は8月23日。約4ヶ月の間、研究のことはとりあえず脇に置いておいて、一般教養の勉強を続けました。
 内容は、40問中、20問は知能分野(判断推理、数的推理、資料解釈など)で、あと20問は知識分野(社会科学、自然科学、人文科学)とちょうど半分に分かれています。

 知能分野は結構得意で、パズル感覚で解けたため、あまり不安に感じることは無かったのですが、問題は知識分野の日本史・世界史あたりでした。人名や歴史上の事件などを覚えるのはとても苦手で、最後の最後には世界史を捨てました。考えてみたら高校生時代も世界史はうけていなかった…。
 物理は思いのほか面白く(センターからは逃げたのに)、社会学や経済学も思ったより苦戦はしませんでした。

 模試がわりに、国家総合職や国家一般職などを受験してみましたが、レベルが全然違って(知能と知識の出題割合も違う)、なかなか打ちのめされましたね…。知能分野が結構難しく時間を取られるイメージ。知識分野についてはまだそんなに覚えていませんでした…。
 あと県庁は受けるのを忘れていました。「友人に受けた方がいいよ~」と言われて、そうだな申し込みしようか、となったのが総合職を受ける日で、その日に締め切りだった気が。もったいない。

 そしていよいよ大学事務1次試験。できる限りの実力を出し、「やるだけはやったけど、それがボーダーに届いているかはわからん!」という感想でした。
 ただ、模試というか想定問題などでサクサク解いていた知識分野の問題が、やはり本番ということもあって少し慎重に時間をかけすぎてしまった感じはしました。知能分野は2,3問を除き正解している自信はありました。

 9月15日、1次試験の結果発表がありました。結果は無事合格。
1次試験の時には琉大が試験場だったのですが、共通教育棟をほぼ全て埋めた(ウワサに聞くと、沖縄地区で受験希望したはずが九州で受けることになった人もいたとか?)800人以上?いた受験者は、1次試験終了時点で98名ほどにまでなっていました。

 その後、初めて書く履歴書や面接の練習のため、琉大の就職課に2週間ほど頻繁に通っていました。

-- 大学事務2次試験(集団討論) --

 2次試験は、まず集団討論が10月1日にありました。集団討論についての説明は省くとして、お題は「大学における障害者支援の在り方について」というもので、討論直前、集合時にあらかじめ進行役、タイムキーパー、発表者、書記などを決めておく方式でした。自分は特に役職を持ちませんでした。書記と発表者は同じとしました。

11:30 集合時間。7人の班だったはずが、1人来なかったため6人で。はきはきした人が進行役になり、発表者は社会人の女性となった。

11:45 討論開始。30分間を自由に使え、最後は発表者がまとめを発表して終わる。

 感想としては、
マイナス点:
(全体)討論の内容が表面的だった。まとめが少し雑だった。最後あたりに時間が余ってしまって沈黙の時があった。
(自分)人の言葉にかぶせてしゃべってしまった時があった。変な意見を出してしまった。もにょもにょしていたと思う(←当時のメモより。なんじゃこりゃ)
プラス点:
(全体)リーダー・進行役がはきはきしていた。最初は意見が多く出た。ホワイトボードを活用できた。
(自分)光っていると思う意見・ツッコミを言えた。障害の定義付けを提案できた。一般的な内容になっていく話の流れの中で、大学ならではの、という言葉を口に出せた

 …などなどがあります。これは全てぼく個人の感想なので、本当にプラスだったのか、マイナスだったのか、は分かりません。

 そして同日19:50分頃電話が来て、集団討論合格との報を頂きました。
最終面接の日程と時間が教えられ、2次試験(集団討論)は終了。


 合格の通知の電話を18時~22時までの間にする、ということは、一人あたりの電話の時間を5分~10分とすると、24~48人。
 最終面接は10月2日、5日、7日、8日のいずれかに行うとのことだったので、1日あたり面接できる人数を5~10人とすると、20~40人。

 という感じで、集団討論を通ったのは30人前後と見て良いかな、などと考えていました。
最終的に取る人数は告知されていたもので13人。倍率は2~3倍かな……という感じですね。実際のところどうだったのかは分かりませんが…。

-- 大学事務2次試験(最終面接) --

 自分の面接は10月5日に行われました。
集団討論は木曜で、金曜の琉大就職課はもう埋まっており、土日は閉まっていて、次の月曜日が面接の日だったので、結局面接の練習はこれ以上できませんでした。

 面接では3対1で(もちろん自分が1)、向かって左の人が全体的な進行役、中央の人が本命の質問役、右側の人が一般的な質問役という感じでした。
 自分はやはり、「このまま研究職に行った方がいいんじゃないの」という感じのことをけっこう何度も言われました。研究への思いは確かに強いのですが、それをどうやって事務へと昇華させたのかを説明・納得させられなかった感がありました…。
 右の人は、部活のことなどをサラッと聞いてきたりしました。

 最後に左の人がこんな質問を。「働くことと仕事をすることの違いは何ですか」
ん?は?っとなってしまいました。同じじゃないかと。何とか答えを絞り出して答えましたが、これへおそらく、回答内容よりも、反応を見るための質問という感じがしましたね…。

 一番最後にこちらから質問することができたので、これからの財源獲得のためにどういう人材が欲しいのか、という話や、先ほどの「働くことと仕事をすることの~~」を逆質問したりして終わりました。

 手応えとしては、やはり中央の人の質問に全てが集約されていた気がします。
自分は研究協力関係のところで働きたい、と言ったのですが、「では経理や総務など、そこ以外のところに配属されたらどうしますか」という質問に、素が出てしまって、「直接研究には関係なくとも間接的に関われているのでモチベーションは保てると思います」とか何とかいってしまった気がします。 モチベーションてあかんやん。

 結果は19日までに電話連絡する、と言われたのですが、実際はその週のうちに来ていたようですね…。某巨大掲示板にその情報を見たのは19日のこと。前に見て無くて良かった、と思った次第であります。

 そう、最終面接に落ちてしまったのです。


-- 北〇備と中〇村役場 --

 大学事務を一番に考えていましたが、せっかく公務員試験用の勉強をしてきたんだからな…ということで、市町村役場の受験も視野に入れていました。
 沖縄県内には居たい、ということで離島から北部までいろいろ探してみましたが、やはり自分が入学当初から住んでいる所が思い入れも深いし、最近開発で琉大東口周辺も賑やかになってるし…というわけで、中〇村(一応隠します)を受験することにしました。この時点ではまだ大学事務の結果はわかっていません。

 村役場は、1次試験(筆記)→小論文→面接という感じで、小論文と面接との間に日数は空きますが、小論文終了段階ではまだ合否は決まらないようです。(1次試験さえ通っていれば、小論文がどのような出来であれ最後の面接にまでいける)

 村役場を受験するにあたり、「住所用件」というものがあり、これはその村に在住している人しか受験できない、というものでした。
1次試験は無事通過でき、約40人いた受験者のうち5名に滑り込むことに成功しました。

 その後、2次試験に必要な書類として、”住所要件を確認できるもの”が必要だったのですが、実は僕は住民票はまだ地元に置いてあり、沖縄には無かったんですね。

 一応、そういうことも1次試験が始まる前に電話で問い合わせてはいたのですが、どのような書類を出したら良いか、もう一度問い合わせてみたところ微妙な反応が…。
 「もう一度、後日お電話しますね」と言われてから5日間ほど音沙汰がなかったので、(あっ、これはもう駄目なやつなんじゃね…)と思いました。

 というわけで、もう残っている手札が無かったので那覇にある新卒ハローワークに行ってきました。
そこで、九州地区で強い某北〇州予備校のチューター(ホームルームの管理など、担任のような役割)の沖縄校での募集を見つけ、連絡を入れました。

 こちらは、書類選考→面接→筆記試験、という順番になっていました。
幸運なことに、書類が向こうに届いたと思われる段階ですぐに電話がかかってきました。
そして面接の日時を決定しました。

 その後、村役場から電話が入り、借りているアパートの賃貸契約書のコピーを提出することにより、そちらも受験可能ということになりました。
 もともと役場が駄目そうだったので〇予備を受けようとしていたのですが、手札復活ということで、そちらをどうしようかと悩みました。(役場の方が個人的には良いと思っていました)

 時系列としては、

北予〇の面接

役場の小論文

役場の面接

 だったので、悩んだ挙句、予備校には正直に全部を話しました。
沖縄校の担当の方はとても良い人で、役場の結果が出るまで最後の筆記試験は待ってくれると言ってもらえました。つまり、面接はOKだということ…!
「是非来てほしいけれども…役場かぁ…そうだよねぇ…」と言ってくれました。ありがたいことです。

 そして、村役場の小論文に臨みました。
小論の題は、「村の職員として地域住民のために貢献できることを書きなさい」みたいな感じだったと思います。メモをするのを忘れてしまいました。

 字数は1000字で制限時間は60分。
村についての下調べ・情報を得ることに夢中になってしまい、小論文対策は全然できていませんでした。最初の30分を使って文章を考えて下書きし、残り30分できれいに書く…という作戦をとったのですが、失敗でしたね。最後に時間が足りなくなり、後半の字が汚くなってしまいました。内容もそんなに…全然…というものでした。

 そして面接。お偉い人たちが6人ほど並ぶ部屋で一人で受け答えしました。
「沖縄のいいと思うところは?悪いと思うところは?」の質問をはじめ、小論文で書いた内容への言及、生物系だけどそれをどういう方向に活かせるのか、という話などなどをした記憶があります。面接自体は、そんなに変なところもなく終わったと思います。
 …いや、最初の「沖縄で悪いと思うところは?」の返答が駄目だったかもしれません。県民性とかの話をした記憶が。村職員があんな考えを持っていていいのか?

 結果は…、まぁ落ちました。小論文も満足にできていなかったですし、面接では上記のようなことを口走ったので……。原因を聞ければいいんですけどね。

 残された手札は1枚、北予〇。
役場を落ちた旨を沖縄校の人に伝えると、先方はめちゃくちゃ驚いていました。
そして後日筆記試験を受けました。これは、自分の得意な科目を1つ受けるものでした。僕はもちろん生物を選択。試験自体はセンター模試のようなもので、60分ほどの時間で終わりました。出来はまぁ、普通に大丈夫かな、という感じ。腎臓あたりの知識が抜けていたので、80点か70点かといったところかな…


-- 名〇大学事務と美ら〇財団事務と北〇備 --

 さて、北〇備は結果待ちという状況になりましたが、いかんせん手札が1枚だけでは不安というもの。この時点で2015年も終わりを迎えつつありましたが、まだ募集を出しているところはあるのでしょうか?

 ありました。
名護にある公立大学「〇桜大学」の事務と、美ら海水族館等を管理する本部にある「美〇島財団」。こちらは植物系と事務系の募集が出ていたのですが、自分は動物系の人間なので事務を選択しました。

 時系列で書いていきますね。丁寧語も面倒なので外すときもあります(ケータイのメモを参考にしつつ書きます)

1月21日 美〇島財団1次試験
 一般教養。60名ほどが受験していた。SPIのような試験だった。

1月24日 名〇大学事務1次試験
 13時に開く。一般教養。公務員試験よりはSPI試験に近い。70人ほどが受験していた。

1月28日 北予〇の内定(電話)
 沖縄校から電話が入り、内定が決まったとのこと!!いえーい。
 3月にはバイトとして入り引継ぎ等を行ってから、4月から正社員になれると言われました。

 ち な み に この通話はとても嬉しかったし、証拠にもなると思ったので、録音して保存しておきました。(※以降で重要になります)

1月31日 〇ら島財団2次試験
 1次を通ったのは12名でした(事務のみの人数)。2次試験は小論文で、題は「当財団がお客様に提供できる新しいサービスを提案しなさい」というものだった。1200字90分。
 これは役場の時と比べ、時間配分も内容もいい感じに書けたと思う。海洋博記念公園はよく遊びに行っていたし、水族館以外の施設についてもよく知っていたので。

2月5日 北〇備から最終面接の連絡
 あれ??????????おかしくないですか???????????
何が何だかよくわからないけれども、福岡にある本部で最終面接が行われることになりました。
沖縄校の人は、「普通にしてたら落ちないよ、今、沖縄校で欠員出てるし」みたいな感じに言ってくれたけれども、僕としてはあれ????ですよね。
 ちなみに航空券代は向こうが出してくれました。福岡行きは23日に。

2月14日 〇桜大学2次試験
 午前中に小論文、午後に面接。小論文は「あなたが最近興味を持った社会での出来事について考えを800字以内で述べよ」。80分の制限時間。
 面接は1人10分程度で、一人ずつ受験番号順だった。最後の方の番号の人は待っている間暇そうだったな…。
内容は、「学生や保護者とどう向き合うか」「大学で何がしたいか」「コミュニケーション能力を5点満点で採点すると自分は何点か。またその理由は」「自己研鑽していることはあるか?なければ何がしたいか?」などだった。

 1次試験を受けた約70名のうち、突破したのは15名。2次試験を受けに来たのは12名だった。
小論文は、論理的な書き方を徹底したが、選んだ内容と主張がまずかったかもしれない。面接では、内容はともかく、滑舌がとても悪かった記憶がある。

2月23日 〇予備最終面接
 福岡へ飛ぶ。
一度オーケーの電話をもらっているのに、なぜだ?飛行機と新幹線のチケット代は向こうが出してくれているが、どうも手切れ金の代わりのような気がしてならない。

 面接では、沖縄校と同じようなこと(志望動機など)や、さらに突っ込んで、博士課程の話や、沖縄以外に配属された場合どうするか、といったこと、はたまた彼女がいるのかどうかという結構個人的な話にまでなった。
 感触は変ではなかったけれども、これで落とされたらシャレにならんでぇ…と思った。

2月24日 美ら〇財団3次試験
 12名→8名になっていた。1人辞退してこの人数になったらしい。
面接では、最初の自己PRで詰まってしまったのを筆頭に、真ん中の一番お偉いさんっぽい人に、「どうして事務なの?」「研究したいなら、水族館に契約社員として入ってからいろいろできるけど?」「院卒の人を入れたことあるんだけど、すぐ辞めちゃったんだよね」などと言われてしまった。
 圧迫面接なのか?しかし研究→事務へ行く確固たる理由を説明できなかったのも確かではある……。とりあえず感触としては最悪であった。


-- 結果編 --
 きれいに全滅であった。
2月26日 〇ら島財団
 4人が通った模様。僕はもちろん落ちていた。まぁあの面接で通そうとする人はいないよな…

2月29日(たぶん) 名〇大学
 封筒が入っていて、すわ!!と思いきや落ちていた。
2次試験から時間が経ちすぎていた。もし通っていたのならすぐに通知を送って、違うところへ行く可能性を減らすだろうから、1週間以上連絡がなかった時点でなんとなく察していた。

3月16日 北〇備
 時間が経って3月に入っています。13日~16日の間、実家に帰省していた。いろいろあって、タイミングがこの時にしかなかったんですよね。
 沖縄に帰ってきて郵便受けを覗くと封筒が!!いえーい!やっと文書で来たぜー。と思いつつ部屋で開くと…

 落ちてました。
あれ?僕、書類選考→面接→筆記試験と受けて、内定の電話も貰いましたよね?(※録音もしてます)
ハローワークの紹介で行ったんだけど、そこの紙にも最終面接とか書いてませんでしたよね?筆記で終わりって説明されたけど?
何故に?

 沖縄校の人に電話を入れるとめちゃくちゃ驚いていました。(演技ではないと信じたい…)
沖縄で欠員が出ていて、かつ沖縄で最後まで受けた人がおそらく僕だけのようだったので、一度問い合わせてくれるとは言ってくれましたが…。音沙汰はそれ以降ありませんでした。おそらく本社というか本部がいきなり入れてきたんだろうな…という感じでした。

 しかし、一度決定したはずの内定を無くすとは…。通話録音でゴネルこともできそうですが、その時点で僕に余裕はありませんでした。

 どうしてかって?
今まで書いてきたことからわかる通り、M2での就活は前戦全敗。大学院修士を修了した後、うんこニートへとジョブチェンジしてしまうことが決定してしまったのですから。


-- --

 …というわけではありません。

「こんなこともあろうかと」保険として受けていた”博士課程”は通っていました。
修士での研究の成果報告と、博士での研究計画を教授たちに発表するという試験はあったのですが、無事通っていました。

 本来は、「仕事をしつつ、長期履修制度を利用して6か年計画で博士号取得を目指す」ために受けていたのですが、まさか、何かしらの身分を保持するため、学生の博士として2016年度を開始してしまうとは夢にも思っていませんでした。


-- 総評 --

・「こんなこともあろうかと」はかなり大事。可能性は広げられるだけ広げておいた方が良い。

・やはり研究から事務系への転向は僕には難しいようだと思った。
自分のやりたいことは研究活動だし、すべてにおいて「長期履修で博士号を取得したい、趣味的にでもいいから研究したい」と正直に言っていたのだが、それが向こうの評価のマイナスになっていたと思う。事務に目を付けたのも、”パソコンがまぁふつうに使えるし、事務系の仕事ならすぐ適応できるだろう”という消極的な理由だった。
 そして何より僕にコミュニケーション能力が足りないこと、滑舌も悪いことが一番の原因だったのでは?と思う。


そんな感じで終わってしまった2015年度(修士2年次)の就職活動。
博士課程に進むことになった24歳男性!
どうなってしまうのか!?


 という感じで締めさせていただきます。
冒頭でも書きましたが、「就職活動記2」の記事を5月(来月)くらいになったらアップします。
そのことからわかるかもしれませんが、何かいい方向に進んだんだな、ということを察して頂けると嬉しいです。

 それでは!
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