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お久しぶりです。
何ヶ月かぶりの更新ですね。
僕はいつも通り、元気に生きております。

 就職したのがいろいろあって2016年5月のGW明けだったので、そろそろ働き始めて1年ということになります。
 今の会社では、楽しく充実した仕事をしています。
出張で内地に頻繁に行くのですが、1泊2日程度のことが多いので、たいそうな準備をせずに気楽に飛べて良いですね。また、しまの世話が1泊2日であれば餌を多く入れておけば大丈夫だというのも大きいです。(去年5月の、1ヶ月間の本社研修の際は吹奏楽部の後輩に面倒をずっと見てもらっていました)

しまぁ

↑ しまぁ

 上の画像、きれいな気がしませんか…?高精細な気がしませんか…!?
そう、昨年12月に、念願のデジタル一眼レフカメラ、NikonのD750を購入しちゃいました!!!

 今までずっと写真には興味があり、琉大学部生の頃は、今はなき「ネイチャーフォトクラブ」に所属しておりました。
カメラ遍歴を書きますと、

・Panasonic DMC-FX07
 →ある正月の時に、母方の祖父母から景品で当たったのを譲ってもらったもの。
この機種専用の防水ケースを購入しているので、水中ではまだ現役。

・CASIO EXLIM EX-ZR200
 →学部3年次くらいの時に、自分で選んで購入したコンデジ。
CPUを2つ(デュアルコア?)搭載していることにより、連射に強い機種とのことであった。
連射機能を応用し、HDR(ハイダイナミックレンジ合成:白飛び・黒つぶれを抑える合成手法)ができるのも強み。

 上記2機種です。両方ともコンデジ(コンパクトデジカメ)ですね。
バッテリーが消耗したので、双方一度ずつ新しいのを購入して、今でも使える状態にしてあります。(パソコンデスクの机の上に置いてある)

 そんなカメラを持っているのですが、僕には不満がずっとありました。

「星空を撮影したい…!」

 そう、センサーサイズの小さいコンデジでは、星空を記録することができなかったのです。
- 以下センサーサイズの説明 -
センサーとは撮影素子とも言われる電子的部品で、「フィルム」に相当する部分です。
その大きさ(センサーサイズ)が、コンデジでは1/2.3と言われるサイズで、小さいのです。
ちなみに、写真に強いと謳っているSonyのXperia Z1~でも、同様の1/2.3サイズです。ケータイにしては頑張っている。

 星空を写すためには、センサーサイズが最低でもAPS-Cと言われるサイズより大きく無ければいけないと知りました。
いわゆる「デジタル一眼レフカメラ」にも、センサーサイズで大きく2種類に分かれており、前述の「APS-C」、そして「35 mmフルサイズ」と言われるものです。

 フルサイズがフルサイズと言われる所以は、昔使われていた「フィルム」と同じくらいのサイズだかららしいですね。(それよりも大きい、"中判"とか"大判"とかは考えないことにします)

- センサーサイズの説明以上 -
 さて、就職して、学生の身分では到底購入することができなかった「贅沢品」であるデジタル一眼レフの購入の検討を始めました。
 いきなりカメラを買う人はともかく、自分は写真が好きだという自負があったので、「APS-C」サイズではすぐに不満が出てしまうだろうと思い、「フルサイズ」の購入を考えました。

 次に考えたのはメーカー。
やはり、レンズの選択の幅の広さから、大手の2社:CanonとNikonで考えることにしました。
そして候補に上がったのが下記4機種。

・Canon 6D
 プラス:値段安め。質量が軽い。
 マイナス:フォーカスポイントが少ない。特に高性能なフォーカスポイントは中央1点のみ。内蔵フラッシュ無し。ファインダー視野率が100%で無い(=ファインダーに入っていなかったものも記録される)。

・Canon 5D MarkⅣ
 プラス:6Dのマイナスポイントが無い。
 マイナス:値段高い。ちょっと厳しい。

・Nikon D810
 プラス:最上位機種を除き、Nikon最高画質と謳われる。シャッター音が良い。
 マイナス:質量が重い。値段が高い。

・Nikon D750
 プラス:質量軽め。持ちやすい。チルトモニター(上下にモニターが動かせる)。Wi-fi付き。
 マイナス:シャッター音がD810より軽め?

 …という感じで、値段的なこともあり、最終的にはCanon 6D v.s. Nikon D750となったのですが、機能の内容でNikonに軍配が上がりました。
(ちなみに、仕事をしている本社では上司にNikon使いとCanon使いが居て、難しい判断のところもありました…w)

 人を撮るならCanon、風景を撮るならNikon、などと言われたりもするようですが、実際は現在だとあまり変わらないらしいですね。好きなのを選べば?と言ってくれる人もいました。

 そして、レンズです。
デジタル一眼レフの醍醐味といえば、レンズを付け替えることにより様々な焦点距離や表現を変えたりできることです。(合体・変形は男子ならロマンですね!)

 最初はカメラと一緒に、
・24-85 mm f/3.5-f/4.5のキットレンズ(本体とセット販売されているレンズ)
・50 mm f/1.8
を購入しました。

 わからない人には何がなんやらと言う感じだと思いますが、
~~mmは「焦点距離」といい、映し出せる範囲を示す値で、小さいほど広角(=広く写せる)となり、大きいほど望遠(=遠くのものを大きく写せる)になります。
 24-85 mmはいわゆる「標準ズーム」と言われるあたりで、人の視野見たままをだいたいカバーするものです。

カンヒザクラ

↑ 24-85 mmレンズで2月に撮影。宜野湾の民家に咲いている立派なサクラ。

 fというのは「f値」というもので、「絞り」を示します。難しい話は調べてもらうとしまして、この値が小さいほど「被写界深度(=ピントの合う範囲)」が狭くでき、さらに「明るい」レンズになります。一眼ならではの「ボケた写真」を撮ろうと思ったら小さいほうが良いのです。
大雑把に書けば、「小さければ小さいほど良い」と思っていただければよいかと思います。

 50 mmのレンズは、単焦点レンズと言われるもので「ズーム出来ないけれど、描写はピカイチ」と思っていただければ良いです。<font="small">(チャージできない代わりに色んな所が高性能な”ワゴンスター”を思い出しますね)

2月のひまわり

↑ 50 mmレンズで2月に撮影。通勤途中に見つけた北中城の向日葵。

 その上記2つのレンズを使っていたのですが、「50 mm」の描写力&ボケ味を知ってしまうと、「24-85 mm」の表現には満足できなくなってしまうものです。(ズームするために、やはり光学系に無理を生じてしまい、比べると描写が甘かったりするのです。)
 しかし、やはりズームできるのは便利なもので、旅行などではズームレンズをつけっぱなしにすることが多々ありました。

 ここで、魔の声が囁くわけです。
「大三元を買ってしまいなよ」と…。

 「大三元」とは、カメラ業界では有名な単語らしく、
「広角ズーム」「標準ズーム」「望遠ズーム」のそれぞれ3種類のレンズの最高峰のものを指します。NikonもCanonも似たようなスペックで存在します。

 2017年4月、イオンライカムで試写させてもらった10日後、買ってしまいました…ヽ(;▽;)ノ
まさか自分でもこんなに早く買うとは思わなかった…。大三元のうち、標準域をフォローする「24-70 mm f/2.8」です。最新のVR(手ぶれ補正付き)のモデルです。

 カメラ本体よりもお値段が高いんじゃね?という感じのレンズですが、もう大満足してしまい、ほぼほぼこれを付けて撮影に出かけています。 性能と引き換えにとても重い(レンズだけで1070 g、カメラと合わせるとほぼ2 kgになる)のですが、それだけの見返りはあると思います。筋トレしなきゃ。

木陰でおやすみ

↑ 件(くだん)のレンズで5月5日にうるま農園で撮影。

 それと実はもう1本レンズを買っていまして、14 mm f/2.8のレンズです。
これは数字から分かる通り、「超広角レンズ」でして、とても広い範囲を写せます。
こちらのお値段はそれほど高くなく(と言っても焼肉20回くらいは行けちゃう)、サードパーティ製(Nikon純正ではない)のレンズです。オートフォーカス機能が無い代わりにコスパが良い。

Samyang(サムヤン)というメーカーのレンズで、名前の通り韓国製のものです。
 これの出番はもちろん「星空」。広い範囲を写せて、かつf値も小さいのでなかなか活躍してくれます。

天の川と愛車

↑ 人生初の天の川撮影。デジカメの液晶画面で確認出来た時には感動したなぁ。
この日は4月下旬の日曜日の夜で、翌日にお仕事があったのにも関わらず、「新月付近」で「天気が良く」て、「これからしばらく先は曇りや雨の予報」だったため、愛車を駆って深夜に伊計島まで撮影しに行ったのでした。
 行ってよかった…。(翌日はコーヒーを大量に飲んでましたが)

 というわけで、5月7日現在、4本のレンズを所持しております。
最強の24-70 mmを標準として、時折星空用などに14 mmを使っていくスタイルになるような気もするなぁ…。

 ちょくちょく写真を貼っていますが、「PHOTOHITO」というサービスに、特に気に入った写真を投稿してますので、よければ見てくださいね。( http://photohito.com/user/profile/113658/
また、Twitterにもちょくちょく現像前の写真などを上げていて、そちらもモーメントに保存するようにしてあります。そちらも是非。

 さてさて、久しぶりの更新の割に、近況報告というよりカメラのお話になってしまいました。
そんな感じで僕は元気に生活しております。
大学院のほうも、今年度から本格稼働を始め、4月にオカヤドカリの採集許可申請書を出し、夏前からちょくちょくとサンプリングに出かける予定です。そちらも頑張らねければ。

 では、このあたりで!
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ご無沙汰しております。
このブログのことはチラホラと思い出してはいたのですが、なかなか書く習慣がなかったもので、放置してしまっていました…(;・∀・)

 今自分は、年末年始ということで実家に帰省してのんびり過ごしております。
そういうわけで、ブログ記事も書けそうな感じですねー。

 さてさて、今年の更新は
・「就職活動記1(または、2015年度のまとめ)
・「2016.3.21~25 修士卒業旅行!(九州北上)

 の2本で、このブログの記録としては、修士2年の段階で就活が決まらず、そのまま九州縦断北上の卒業旅行を決行した、という報告で止まっているわけです。
 Twitterの方には逐一いろいろ書いているのですが、それを自分で後から見返すこともしないし、何より余分な情報量が多くて大変なので、こちらにまとめて書こうと思います。

- - 就活体験記2 - -

 卒業旅行終了後、僕は、念のため受けておいた博士課程にそのまま進むことにしました。
その理由は大きく分けて2つあり、まず、「身分を持たないまま彷徨うのが嫌だったから」で、内部進学だったので入学金等が必要なかったことから、学生の身分を維持しておくためという部分がありました。
そして、やはり「沖縄に来たのは、オカヤドカリの研究がしたかったから」という理由があり、こうなったのは研究者になるための運命だったからではないか…と思った、ということでした。
(それにしては、学振も通っていないし、理学的な興味すぎる研究=水産など人類の繁栄に直接の利益がある研究ではないことから、生活基盤をどうするか、という問題はあるのですが)

 旅行から帰った時点で、「ドクターに進みつつ、就活は並行しておこなう」ということは決めており、様々なウェブサイト等を見て、情報を集めていました。

 とある医療系の企業で研究職を募集しているのをWebページで見つけ、履歴書を封筒で送った後の日、それとは別の企業(水産系の案内役など)にいくつか目星をつけ、ハローワークに紹介状を貰いに行こうとした道中のことです。
 もうハロワが本当に目と鼻の先に来たところで、最初の封筒を送った企業から電話が入ってきて、面接の日程を組んでもらうことができました。正直ハロワで紹介してもらおうとしていた企業は気が乗らなかったので、その日はそのままお家に引き返しました。

 そして忘れもしない4月5日、琉大の入学式の日です。
僕は面接用のスーツに着替え、時間的余裕があったので、まずは琉大の入学式を見に行きました。
吹奏楽部の後輩たちがアトラクション演奏を行っているからです。
一応、自分もD1の新入生ではあったのですが、入学生用の席では無く、保護者席で演奏を聞いた後、面接へと向かいました。

 面接では都合上、いきなり社長さんと、上司となる男性の方との2対1の形式で、様々な話を率直にしました。…沖縄に来た理由や、その企業に目をつけた理由(環境や生物系では無くて医療系な理由)など、そしてできれば博士課程でオカヤドカリの研究も同時におこないたいことなど。

 なんとその場で良い返事をいただくことができました。
Skypeで本社と繋ぎ、挨拶?をしたりなどなどしましたが、その時の方が画面越しだったこともあり緊張したような…。

 その後、来客の準備を手伝ったりなんかしたりもしました。
今思えば、博士課程で、職業とは全く別の研究をさせてくれる企業というのはかなり珍しい気がします。
公務員系や某財団でも、面接時に正直に全て言っていたのですが、普通はそういう人は取らないような…そんなことが少しわかった気がしました。偶然、懐の深い企業を見つけることができたのは「縁」的な何かがあったからなのかもしれません。

 今現在、世間で騒がれているような「ブラック企業」ではなく、僕自身の精神状態も入社前から持っている普段通りのものですので、良い企業に巡り会えたと思っています。

 面接終了後、琉大で新入生説明会があったのでそのまま帰りました。
道中、親にすぐ報告したのですが、喜んでもらえました。(ただ、北予○の件があったので、まだ完全に安心しているという感じではなかったですが…、それは僕もです)

 研究室に戻った時にも、先生に報告を入れ、博士課程はそのまま継続するということを伝えました。
 D1では長期履修制度が(申請のタイミング上)使えなかったので、D1は普通の学生として。そしてD2とD3は制度を使いそれぞれ倍々に伸ばし、「D1×1, D2×2, D3×2」の計5ヵ年計画で博士号取得を目指すことを決定しました。
 そして、1年目はまず仕事に慣れるために、研究活動は行わず、修論の英語化をすすめることと博士研究計画を練ることをおこなうことにしました。

 後日、会社で打ち合わせが4/11にあった時に、内定通知書を渡してもらい、無事入社決定の証拠を入手することができました。

- - 本社研修(5月) - -

 GW終了後の5/9に正式に入社しました。
そして、関東にある本社で1ヶ月間の研修を受けました。

 会社がマンスリーマンションを借りてくれて、そこに研修中はずっと住んでいたのですが、
夜23時になると横のおっさんのイビキが薄い壁を通じて聞こえてくること、風呂の排水口が最初詰まっていて清掃に来てもらわなくちゃいけなかったこと、建物が結構古かったこと、部屋が一人暮らしするのにギリギリな広さだったこと、フライパン等の食器類がなかったため実家からのホットプレートや現地調達した紙皿で対応するしかなかったこと、そしてしまが居ないこと、を除けば、
商店街も活気づいていて、本社へのアクセスもそこそこ良く、場所としては良かったなぁ…、と思います。また唐揚げを買いに行きたい。(マンスリーマンションはもう結構ですが…。)

 研修と言っても、研修担当会社が入ってきて人格否定されるような感じのものではなく、(ニュースを見すぎてかなり身構えていました)、普通にできることをお手伝いするような感じでした。
 今でも思い出せます、
入社初日に1時間早く来たら誰も来て無くて、始業10分前に人が来るまでずっと前で待っていたこと、
上司に「一番大事な仕事をお願いしよう」と言われて、ラジオを流すことのを任されたこと(緊張しているのをわかって言ってくれたのだと思います)、
本社で終業後、空きっ腹にお酒を入れてかなり酔ってしまったこと、
後は論文翻訳したりとかシュレッダーしたりとかテプラ作ったりとかある事業の提案書をまとめたりとか……。もはや懐かしい。

 後は、終業後に琉大吹奏の先輩と待ち合わせてお酒を飲んだり、休みの日に後輩たちと江ノ島や熱海まで遊びに言ったり、一人で山梨までレンタカーでドライブして温泉旅館に泊まってのんびりしたりなどなど、結構エンジョイしておりました。↑ 知らないおばちゃんが写り込んでしまっている…。

 そして研修は無事終了し、沖縄に帰ることができたのでした。

- - 沖縄でのお仕事、そして車乗り換えなどなど - -
 6月頭に帰沖しました。
そうそう、僕が居ない間しまのいるアパートには、琉大吹奏の1つ下の後輩が住んでくれて部屋の維持管理およびしまのお世話をしてくれていました。

 帰った時、1ヶ月ぶりだというのに普段通りの対応で笑ってしまいました。
忘れ去られていなくてよかった。( ´ ▽ ` )ノ

 所属していた吹奏楽の一般団体「ウインドオーケストラオリオン」は、職が見つかるまで4月から休団していたのですが、研修が1ヶ月間あるということで帰沖後に復帰しました。

 そして、車についてです。
就職も無事に決まったことだし、さらには部活をしていた時と比べて大型楽器も載せないし、一人で乗ることの方が多くなっていたので、この機会に少し小さな車に乗り換えることにしました。
 実は車種には検討をつけていて、3月の帰省時点で試乗したりはしていたのですが、例の(北○備の)一件があってからは凍結してしまっていたという経緯もあります。

 乗り換えのための準備は研修のあった5月中にしており、
新しい車側の話ではディーラーと保険や受け渡し方法や日時、その他諸々の話をしたり、
古い車側の話では、運良く車を探している後輩が居たので、彼に受け渡すための話を進めていたりと、我ながら色々頑張って動いていました。まぁ自分のことなんですけれど。

 沖縄に帰ってきたその足で空港からタクシーでディーラーまで赴き、そこで受け取ったNew車に乗って自宅まで帰ったのでした。

 12月末の現在、その車は半年と少ししか経っていないのにもかかわらず走行距離が10000 kmを超え、なかなか楽しくドライブしております。(通勤でも結構使っているけれど)

 仕事では、研究職らしいことを沖縄に来てから始められ、6月中にいきなり対外的なプレゼンを任されたりなど、色々頑張っていました。

- - 夏季休暇や出張の話、そして石垣など - -
 夏季休暇は、夏季期間中、5日間を自由に取得できるということで、今回はつなぎ合わせて実家に帰省しました。4月に一度帰っていたのですが、社会人になってから初めての帰省です。名刺も渡せて、やっと大人になったんだなぁ、と自分で実感していた覚えがあります。
 大阪のカービィカフェにも行けて満足まんぞく。

 出張は実は結構数多く、頻繁に飛んでいるのですが、だいたい1泊2日の日程で済むことが多く、個人的には助かっています。
 移動自体は確かに体力も時間も消費して大変ですが、なにぶん、僕は家にしまを置いていっているので、あまり長期間部屋を開けることができません。
 それが、1泊2日ならば、餌を少し多く入れておくだけで、誰かに面倒を見てもらう必要も無く対応できます。1泊2日バンザイ。

 9月、琉大吹奏の同期たちと石垣島へ遊びに行きました。 きれいな海をグラスボートで見れたり、竹富島で水牛車に乗ったりなど、エンジョイしまくりました。

 そして、東京のカービィ・ミュージアムや国立科学博物館に行くために深夜便に乗って0泊2日を強行したり(終電を逃して時間を潰すために一晩中歩いたりなどの思い出も…)などなど、旅行にも行ったりしました。


 さて、そのような激動の2016年でした。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 来年は、まずオカヤドカリの採集許可申請を出したり、長期履修の申請を出したりするところから始まり、研究を行うための準備が動き出します。
 目標は、仕事と研究の両立。大変そうですが、自分で選んだ&選ぶことのできた道です。覚悟を持って臨んでいきます。

 実際、仕事も面白いし、生活のためのお金を自分で稼いでいるということも生きがいになっていますが、オカヤドカリの研究を続けられるということも嬉しい生きがいです。そのどちらを失っても、今の僕はいろいろ厳しい状況になる気がします。

 急いで書いていたので、後からちょくちょく直すかもしれませんが、今日のところはこのくらいで!
では!
2016. 12. 31. 0:55
去る2016年4月14日より発生した、熊本や大分を震源とする大きな地震の被害に遭われました方に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を、心からお祈り申し上げます。

この記事は、そんな災害が起こるほんの1ヵ月前に僕が九州を旅行した時のものです。

--

 卒業!
2010年、18歳の春に沖縄に来て琉大に入学してからはや6年。4年次の時には吹奏楽部の同期達と神戸・大阪を旅行したのが懐かしい。(その時の記事を書いていなかった…もったいない…)

 2年ぶりの卒業ですが、卒業は卒業。どこかへ行きたい!何かをしたい!
就活はいろいろあって失敗に終わったけれども、もう飛行機も車も予約している!ここで行かなかったら絶対後悔する!

 というわけで行ってきました。九州。
その計画とは…

”鹿児島から福岡へレンタカーで北上する”

 というもの!
琉大吹奏の同期のうち、2人が鹿児島、1人が大分に居て、その人たちと遊ぶ(会う)日にちだけは決めていましたが、それ以外は、どこへ行くかも何を見るのかも、はたまたルートさえも未決定。
 放浪の旅へのあこがれってありますよね。まぁレンタカーの存在のおかげで安心感は格段にありますけれども。

 5日間かけて無計画に北上するという旅の性質上、よほど気心の知れた人としか一緒に行くことができません。
 同期達はもう働いているし、それ以外でこんな旅を一緒に行ってくれる人なんて居なさそうだったので、結局一人で行ってきました。

 そして、旅の中で自分ルールを設定しました。 なぜそうしたかというと、せっかく旅行に行ったのに現地のご飯ではなくコンビニでお腹を満たすなんて勿体ない、と思ったことと、あといつもの自分のiPodの曲しか聞いていないと普段と変わらないじゃん、と思ったこと。そして… ということが挙げられます。
人との会話に関しては、まぁ飲み屋や散髪屋などでコミュ障を発揮せずに普通に話せたので僕にしては及第点かなと言ったところかな…。
 それより、この旅を終えてからラジオにはまってしまって、沖縄に帰ってからもラジオを車で聞くようになりました。ずっと自分の世界ばかりにこもっていたのですが、ラジオっていいですね。ラジオっ子になりそう。

 というわけで、旅行のはじまり!

--

1日目:沖縄→鹿児島→宮崎

 那覇空港から鹿児島空港に飛び、レンタカーを借ります。
借りたのは、コンパクトな乗用車(Bセグメント)のトヨタ・ヴィッツ!
軽自動車も考えましたが、長距離を走ったり、高速道路を走る可能性があったり、車中泊の可能性があったりするかも?などなどの面から小型乗用車にしました。
トヨタの車には慣れていたので、マツダ・デミオあたりが当たると別の物が体験できていいなーと思っていたのですが、ヴィッツでしたとさ。

 1.3lエンジンを積んでいるまぁまぁなグレードのものだったのですが(詳細は忘れてしまった…)、そこそこいい子でした。燃費が良くなるようにチューニングされているのがよく分かる走り方をしていました。踏み込んでもあまり反応がよくなかったりとか…。走る楽しさはうーん…という感じでした。
 しかし、最後には燃費が20km/lを超えていたので、まぁそこはよかったかな…。

 鹿児島空港から、鹿児島中央駅まで車で移動、さっそく琉大吹奏の同期2人と落ち合いました。
「金斗雲」というお店でラーメンを食べ、「らさら」で抹茶スイーツをいただき、向かった先は…



ひらかわ動物園!

 動物園って久しぶりな気がします。
沖縄にも「こどもの国」がありますが、あまり行かないですしねぇ…



カバを間近で見る機会もなかなかないですねぇ

 動物園で1人とお別れし、もう1人の友人と鹿児島中央駅に戻ってきてからは、あみゅプラザをぶらぶらしていました。



「キディランド」にて。カービィのグッズが大量にあったので結構買ってしまいました。カービィ好きなんですよね。



 夕食は、あみゅプラザ内のおそばやさんで!
卵焼きもおいしかったです。

 そして友人と「次は沖縄で」などと言いつつ別れ、北上を始めました。
ルートをどうするのか迷ったのですが、結局、鹿児島→熊本→宮崎→大分→福岡、と行くことに決めました。
とりあえず、熊本に向けて出発!





 宮崎県のえびの市に入りました。
その時点で結構遅い時間になっていました。熊本まで行ってから一泊しようと思っていたのですが、このあたりで手を打つ必要がありそうです。

 とりあえず、いい感じの温泉旅館…の横にある温泉に入り、道の駅で車中泊をしようとしました。
ところが…寒い。しかも、外灯の当たらない場所にはすでに先客が車中泊をしていて、なかなか入り込めそうにない雰囲気が醸し出されていました。

 ビジネスホテルでも探すか…、と少し走らせてみたものの、見つからず。
というわけで先ほどの温泉旅館に戻り、素泊まりでおいくらほどするのかと聞いたら、やはりなかなかのお値段とのこと……さすが。
 予算がそれほどなく、いくらいくらくらいです…というと、旅館の息子さんが「ちょっと遠いけどビジネスホテルあるよ」と言ってくれた直後、女将さんがそれでいいよ、とまけてくれました。いきなりの優しさに涙が出そうになりました(とまでいうと言い過ぎかもしれませんが…)



すごく…上等です



しかも夜食まで作っていただけて。

就職のお話などをいろいろしていたのですが、いきなり優しい人々に会って感動しつつも、疲れのためすぐに寝てしまいましたとさ。

【移動記録】--

2日目:宮崎~熊本~宮崎

おはようございます!2日目です!
お世話になった宿を後にしました。朝の温泉も素晴らしく、(いつか将来、ちゃんとここで一泊しよう)と心に決めました。

 さて、熊本へ向かおうか、と思ったのですが、道の途中で床屋を見つけたので入ってみました。沖縄で切ろうと思っていたのですがタイミングを逃していたんですよね。
そこでもお話をして楽しんで、出発。ご夫婦で営んでいるお店だったのですが、出際、奥さんが、「わたし、別府出身なのよ」とおっしゃっていました。大分から、宮崎の南の端っこかぁ…すごいなぁ…と思いながら手を振ってさよならしました。



遅めの朝食。えびの市最後のご飯でした。
した道で行くか、高速で行くか迷いましたが、今回は高速で熊本へ行くことにしました。
熊本城、阿蘇山とめぐりたいところが結構あったので、ここで移動に時間を費やすのは得策ではないな、という判断でございます。



桜と熊本城!
何気に人生初めて?の熊本城です!
道中のラジオで、今日が桜の開花日と知り、すごく運がついてるなぁ…と感じましたねぇ。



先ほどの桜は少し早咲きの品種だったらしいですが、こちらはちゃんとした(?)ソメイヨシノ。沖縄に居るとこのハラハラ散る桜を見ないので、なんだか懐かしかったですね。これぞ日本の心やぁ…

熊本城を後にし、とんかつ屋で昼食をとり、お次は阿蘇山に向かいました。
道中、”大津町(おおづまち)”と”西原村(にしはらむら)”があり、滋賀県大津市に実家があり、沖縄県西原町にある琉大に通う身としては、なんだかうれしいものがありましたねぇ。

標高が高くなってくるにつれ、植物が姿を消し、土肌しか見えない荒涼とした風景になってきました。



到着!



ここから先へ行くと火口が見れる…ハズなのですが、警戒予測が出ていたため、ロープウエーでも車でも上ることはできませんでした。残念…。またいつか安全な時に来たいですね。

昭和の感じが残るロープウエー乗り場には、いきなり団子や火山灰ソフトクリームなどが。

お土産を物色したのち、下山しました。
九州の西側から阿蘇山に登ったのですが、降りるときは宮崎がわ、すなわち東側のルートを使いました。

道中、ナビに見たことのある名前が出てきました。



「天岩戸」神社…!

あまり日本史や神話などには詳しくない僕でも名前くらいは聞いたことがあります。(宇宙戦艦ヤマト2199を見ていた人なら1話の暗号文でも名前がでてきますね!)

というわけで見てきたのですが、写真からもわかる通り、日没後かなりの時間が経っていたため、もう見学などはできない状況でした。残念。ただ、”行ったぜ!”という妙な満足感のみ得られました。

そのあと、そばにある「天岩戸温泉」に入りました。
でも…なんというか…ふつうのお湯だったような……?えびの市の温泉の方が個人的に良かったなぁ…という感想でした。



そして、なんとかかんとか宮崎県の延岡市にたどり着きました。
もう車中泊は諦めて、ふつうのビジネスホテルを探して入りました。やっぱり体力をちゃんと回復しないと日中の運転も危なくなりますからね。

 延岡市のホテルの周辺は、なんというか…飲み屋がちょっとあるさびれた(というと失礼ですが)大通りのそばで、「駅周辺」か「町中」の二択で「町中」を選んだ僕のミスだったなぁ…という感じでした。
 それでも、歩き回って何とかいい感じの個人店の居酒屋を見つけ、鳥の炭火焼きとお酒というごちそうにありつくことができました。



んもう最高。

焼き鳥といったら…まぁふつうはビールですが、せっかくだったので、清酒や芋焼酎とともにいただきました。そんなこんなな感じで、2日目は終了!

【移動記録】--

3日目:宮崎~大分

3日目です。おはようございます。
今日は、大分に夜までに着いていればよかったので、のんびり下道で移動することにしました。北浦に来ました。
道中、ここの道の駅にはリュウグウノツカイのはく製がある、とラジオで言っていたので探してみたら…ありました。
一時期、何かで取り上げられて以来、ダイオウイカやリュウグウノツカイは有名になった感はありますが、ここのものはそれ以前からずっとあったみたいですね。



塩田などもさかんだったらしく、塩の彫刻などもありました。

さて、宮崎県を後にし、大分県に入りました!
そして、”道の駅かまえ”へ!


かわいいイセエビ

ここには、琉大吹奏の同期の友人からおいしい海鮮丼があるという話を聞いていたので、来たかったんですよね。



うおおおおおお!
いろいろな刺身があって美味しかったですね。大分県のかぼすを食べて育った「かぼすヒラメ」なるものの刺身もあったらしいのですが、そちらも気になりました。次に来たらそれを食べたいですねぇ。宇和島のみかんブリみたいな感じなのかな。結局、また下道を通ってのんびり北上しました。

-- (ここは本筋には関係ない独り言なので、読み飛ばしても大丈夫です) --

 道中、ちょっと考えていたことがあるんですよね。ちょっと哲学的かもしれません。

熊本市内などはビルなども多くだいぶ栄えているけれども、宮崎や大分の山奥では人と自然が共存している…というかゆっくりと自然に飲まれていくような印象がありました。

 ここで思い出したのが、”宇宙戦艦ヤマト”の「ガミラス」と「イスカンダル」の関係。わからない人はごめんなさい。
 ガミラスは、”自らの欲望に忠実”な立場・星で、イスカンダルは”滅びゆく星と運命をともにする”人・星として劇中では描かれています。どちらが良い・悪いもなく、ただそういう立場があるんだなぁ…という感じなのですが、栄えている町と、自然に近いいわゆる「さびれた」場所にも似たようなものがあるかもしれない…と思いました。

 そして、そもそも、地球上で人間が活動している意味は何だ…?と思いました。
意味、というか人類はどこへ向かっているのか?何が目的なのか?というところですね。

 地球が駄目になったときのために、どこか違う惑星に移住できるために科学技術を進めている?
それも結果的にはありえるかもしれませんが、もちろんそれだけではないはず。

 途中の考えはいろいろ説明も難しく、面倒なので省いてしまいますが、「個人が個人の幸せを追い求めている」のが、活動する目的ではないのかな、という考えに至りました。
 まぁ毎日楽しく過ごそうかな!という気持ちになったのでしたとさ。

----- 独り言おわり -----


 さて、大分市内に到着しました。この後、琉大吹奏の同期の友人と合流して、



とり天!(=いうなれば、大分風から揚げ…?)くし盛り!鶏たたき!



日本酒(鷹来屋)!



馬刺し!!

たらふく食べた後は、駅の中の居酒屋に行って、



琉球!(刺身とごま油)



ぎょろっけ!(かまぼこのコロッケ)

と、2軒目でも食べまくって、その日はお開きとなりました。

 宿泊したのは、駅前のビジネスホテル。
部屋数かタイミングの関係上か、1人分の値段で広いお部屋をゲットできてラッキーでした。

【移動記録】
--

4日目:大分県内

 この日は、友人と大分県内を遊びまわりました。マックカフェで朝食をとったあと、



まずは、うみたまご水族館!ペンギンは美ら海水族館にいませんからねぇ。久々に見ました。セクシー。



子供コーナーにあった貝殻。これに入って写れば皆ヤドカリになれますよ!



水族館なのになぜかナマケモノが。生で見たのは初めてかもしれません。
本当に全然動かなかったです。あ、でもおしりは掻いてたかもしれない。

 次に甘味茶屋へ行き、昼食とデザート。



「だんご汁」なるものを食べました。だんご、というか平べったいうどん?みたいな感じですね。あとそれにきな粉をまぶした「やせうま」も食べました。右奥のが僕の食べたもの。



名前は忘れましたが、チーズもち揚げ、おいしかったです。



そしてデザート。抹茶おいしかった。

お腹を満たした後は、宇佐市にあるアフリカンサファリに行ってきました。



こんな感じの檻バスの中に人が入って、動物たちに餌をあげられるという!
これも何気に人生初?小さいころに行ったことがあるかもしれませんが、記憶には…ないですね。 動物の餌やりも迫力があって楽しかったですが、個人的にもっとテンションが上がったのはキャットサロン。
ここでは、様々な品種の猫たちと触れ合うことができました。



友人作のコラージュ。
すり寄ってくる猫ばかりではないのがなんだかいい感じでしたね。気が立ってる猫に手を伸ばすと噛まれそうになったりするのがリアルでよかったです。そう、ライオンもネコ科。ちっちゃいライオンが居てかわいかったです。
さすがにほかの猫たちから離されていて、人間も見るだけでしたけれども。

その後、別府まで行き、温泉に入りました。
源泉かけ流し?で、普通にひねるとあっっっついお湯がシャワーから出るのを、自分で冷たい水を入れて温度調節するのが新鮮でした。
風呂上りに温泉卵も食べました。あれ、なぜ殻の中まで色が変わってるんでしょうね。硫黄が殻を通って中にまで浸透しているのか…?



地獄釜っていう名前がすごい。
絶えず蒸気が上がっていました。



地獄蒸しプリン。蒸すときに温泉の蒸気を使ってるんですね。
味は普通においしいプリンでした。


 遊んで食べて食べて食べてもう夕方。友人とお別れした後、福岡へと向かいました。
この日は、もう福岡まで行ってしまってそこで一泊し、翌日の朝に空港へ行くだけにしよう、と決めていたので、大分市から福岡市内へ結構急いで行かねばなりません。

 というわけで高速に乗ったのですが、途中でガソリンの残量が少ないことに気付きました。
最初は、福岡までは行けるだろ~、と考えていたのですが、高速に乗っていたせいかメーターの表示の癖か、消費が激しくて途中で給油しないと危ないな、という状況になりました。

 サービスエリアで一度駐車し、これから先のインターチェンジで降りた先にすぐガソリンスタンドがあるところを探し、ひた走りました。

 残量計が点滅してかなり経ったころ、なんとかたどり着くことができました。
大分県日田市のインターチェンジ近くにあるガソリンスタンドです。まだ大分出てなかった。

 せっかくなので、ここで何か食べていこうと思い、入ったのは…



うどん屋さん!



「金比羅(こんひら)うどん」という名前のようです。上に大量に乗っているかつおぶしが特徴的ですね。
醤油をかけつついただきました。おいしい。

 さてさて、そんなこんなでガソリンも僕のお腹も満たされたところで、福岡を目指しました。そして到着。

 例のごとく、宿を探そうとしたのですが、時刻は日付が変わるか変わらないか。
春休みのせいもあり(?)、全然ホテルが空いていませんでした。
それでも何とか電話で空室のあるところを見つけ出し、チェックイン!

 ここでもなぜかとても広い部屋に通され、布団セットも3つあったのですべて重ねてふわふわな寝心地を作り出しました。
 修学旅行生がいる、とのことだったのですが、鉢合わせることは少なく、静かに過ごせました。
温泉にも入れて満足まんぞく。

【移動記録】あ、高速道路で佐賀県を一応通過しました。これで九州は、長崎県以外一応通ったことになりますね!


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5日目:沖縄へ

 この日は、朝にまずレンタカーを返しました。 結構走ったなあ…と思っていましたが、1000kmは到達してないんですね。プリウスなら無給油で走破できたかも。

 その後、徒歩で福岡空港まで行き、お土産を物色して、帰沖!
自分用に、ネクタイを買ってみちゃいました。柄などに九州要素は微塵も無いふつうのネクタイですが、僕の中では九州旅行の思い出となりました。結構おしゃれな感じで気に入ったのです。


 大きな事故やトラブルもなく、結構楽しんで旅を終えることができました。
もっと時間があれば、もっとゆっくり1県ずつ訪れたかったですね。あと、今回行くことのできなかった長崎。こちらもぜひ行きたいです。
次に大きな休みがあったら、四国に行くのも楽しいかもしれませんねぇ。


 さてさて、学生最後の旅行。この時点ではそうだとは思っていなかったのですが、満喫いたしましたとさ!
就職活動記としてまとめて記事を上げます。それに伴う、僕自身の大学入学からの思いや状況なども書いていこうと思います。(今回の記事は本当に個人の記録用という感じです。その点ご了承ください。(。。)ペコッ)

 ちなみにめっちゃ長いです。しかも2本に分かれます。続編の”就職活動記2”は2016年5月に入ってから書きます。


 2015年のブログ更新が少なかったのには理由があります。…そう、就活です。
このブログ&自分の性格上嘘は書けないし、ぼかして書くにも限界があったので…。「ありのままに現在進行形で書く」より、「後からまとめて報告する」方法を選びました。なので更新できなかったんですね…。

-- 大学・学部生時代 --

 小学生時代は「医者になるー!」などと言っていたのですが、中学入学後から成績はどん底を這い回っていて、高2の頃には医学科などと言える身分ではなかったのです。
 そしていざ進路を決めるとなった時、自分が興味を持ってずっとできることは何か…?と探して、見つけた/思い出したのがオカヤドカリのことなのでした。
 彼らの生殖行動(放幼生行動)は新月・満月に合ったもので、時間生物学的なところに興味を持ったのでした。

 大阪の高校を卒業後、2010年に琉球大学 理学部 海洋自然科学科 生物系に入学しました。
 そのときは将来の職業についてはぼんやりと「研究者になりたいな」としか考えておらず、今思うと恐ろしく無計画だったのですね。

 1年次~3年次前半あたりまでは、共通教育(教養)科目をうけたり、吹奏楽部に入って楽器を演奏したり、車でドライブしまくったりと、大学生活を謳歌しておりました。
 3年次後期になり、希望する研究室に配属されてからは、当初からの野望(?)であったオカヤドカリの研究を始め、卒業研究では、「沖縄本島に生息するナキオカヤドカリCoenobita rugosusの生殖の季節性と放幼生行動」という題名で、

1) 組織学を使った繁殖期の推定(組織学:プレパラートを作成して細胞を観察するもの)
2) 放幼生行動の観察・記録
3) 1日における場所の違いによる出現個体サイズの変化の記録
4) 光(明暗)に対する行動の変化の記録

 …などを行い、最後のポスター発表で無事卒業の要件を満たすことができました。

 そして卒業時には、学部長賞をいただくことができました。
これは、生物系の中ではGPA(成績)がトップだった、というもので、もちろんいただけて嬉しいではあるのですが、実際自分は教職の単位(学校の先生になるためにうける講義)や、学芸員資格取得のための講義をうけていなかったため、GPAが落ちづらかった結果取れただけなのかもしれません。
 ちなみに、残念ながら各学部から1名ずつ選ばれる「学長賞」は逃しました。 学校の成績に加え、講義に全部出席していたり、課外活動などで優秀な成績を収めているなどなど、さらにプラスの条件が必要だったようです。

-- 大学院1年次(M1) --

 さて、学部の卒業後、僕は何の迷いも無く琉大の院へと進学しました。正式名称は、「琉球大学大学院 理工学研究科 海洋自然科学専攻」。
 どうでも良いことなのですが、個人的に「漢字で長い所属を言う/書く」というのがカッコイイな、などと大学入学時に思っていたのですが、院のそれは学部のものより長い文字数だったのでした(17字→21字)。 まぁ履歴書を書くときにはそれら両方の入学&卒業(修了見込)を記入するので、手間が大変でしたが…。


 閑話休題、院に進んだのは、「オカヤドカリの研究者になりたい」という大学入学当初から思いがまだあったことと、「せっかく沖縄に来てオカヤドカリの研究をやらせてもらえてるんだから、学部の1年半だけで終わらせるのはもったいない」という思いからでした。

 修士1年目では、琉大吹奏にちょくちょく顔を出したりして(学部1年次のふりをして混じってから正体を明かして驚かす伝統も…。趣味は良いとは言えないですね)楽しみつつも、1ヶ月に1回のサンプリングやその処理、夏には集中的に行動観察等に行ったり、冬にも実験をやったりして、ほぼほぼ修論が書ける状態にまでデータを蓄積しました。

 修論は大きく2つに分かれており、

1) 生殖年周期の記録(卵を持つ個体の割合、卵巣重量の割合、組織学の3つによる)と、「繁殖期」を引き起こす環境情報の特定
2) 放幼生行動の記録(及び、産卵のタイミングの特定)

 といった感じで、卒論とは違って生殖の研究に特化しています。(卒論では日内行動:1日における行動の研究がありました)


 「1年目でほとんど研究を終わらせた」みたいな感じになっていますが、正確にいうと、M2に入ってからは就活(勉強)のため、実験がほとんど出来なかったというのが実際のところですね…。1年目にいっぱいやっておいて良かった感があります。


-- 就職活動記 --

 やっとこさ本題です。
 M1の夏から、就職のことについてやっと、本当にやっと考え始めました。
その頃には、「ヤドカリの研究職はやばい、というか絶対無理」というのは分かってきていて、何が「やばい」のかは、少し調べてみれば良いことだったのですが、それまで自分には無関係だと思っていました。(今考えると恐ろしい)

 自分は、生物の研究をするならオカヤドカリだけ、という妙なこだわりがあり、何故かというと、他の生物種の研究をする、となるとモチベーションが全く出てこなかったからです。(いろいろな研究結果を知ったりするのは好きですけどね)

 生物の研究というのは職が限られていて、さらに自分の興味のあるオカヤドカリに関しては、企業や水族館の研究職に入るわけにもいかず(そもそも研究対象としてあまり見られていない…。ヤドカリ自体の論文も少ないし)、ポスドクとして各地を任期付きで転々とし最終的には大学の助教のポストが空くのを待つ、といった未来が想定されました。

 そんな現状で、果たして自分は生涯をかけてオカヤドカリ研究をする覚悟はあるのか、研究を仕事として成り立たせるのか、そして自分はいつまでオカヤドカリへの興味を持続させられるのか、
 …などなどといった現状や不安から、研究職へのあこがれ、というか自分が研究者になろう、という思いは薄れていきました。…いや、あこがれはありますね。できれば好きなことを研究して生活していたい。けれども現実的でない…と自分は考えました。


-- 大学事務 --

 さて、では何が良いかな、自分には何ができるかな、と考えてまず出てきたのが「大学事務」でした。
 もともとパソコンを使った事務作業は得意だし、大学の研究を裏から支えられる仕事というのはとても良いもののように感じました。それに、研究のこと(研究職に関するあれこれ)については修士に入っているということで、少しは分かっているという部分もありました。
 それに、琉大の事務に就職できれば、今所属している研究室にも通うことができ、「趣味的に」研究を継続できるかな、ということも良い点でした。あわよくば社会人博士課程で、論文博士になりたいな、という野望もありました。(その博士号で研究職になる、ということでは無いです…)


 大学事務は、「国立大学法人」が地域毎に募集・試験を行います。
法人化される前は公務員であった名残か、1次試験では公務員試験の様な一般教養(40問・2時間)が出題されるという情報を得て、M2の4月から、公務員試験の勉強を始めました。

 大学事務の1次試験は8月23日。約4ヶ月の間、研究のことはとりあえず脇に置いておいて、一般教養の勉強を続けました。
 内容は、40問中、20問は知能分野(判断推理、数的推理、資料解釈など)で、あと20問は知識分野(社会科学、自然科学、人文科学)とちょうど半分に分かれています。

 知能分野は結構得意で、パズル感覚で解けたため、あまり不安に感じることは無かったのですが、問題は知識分野の日本史・世界史あたりでした。人名や歴史上の事件などを覚えるのはとても苦手で、最後の最後には世界史を捨てました。考えてみたら高校生時代も世界史はうけていなかった…。
 物理は思いのほか面白く(センターからは逃げたのに)、社会学や経済学も思ったより苦戦はしませんでした。

 模試がわりに、国家総合職や国家一般職などを受験してみましたが、レベルが全然違って(知能と知識の出題割合も違う)、なかなか打ちのめされましたね…。知能分野が結構難しく時間を取られるイメージ。知識分野についてはまだそんなに覚えていませんでした…。
 あと県庁は受けるのを忘れていました。「友人に受けた方がいいよ~」と言われて、そうだな申し込みしようか、となったのが総合職を受ける日で、その日に締め切りだった気が。もったいない。

 そしていよいよ大学事務1次試験。できる限りの実力を出し、「やるだけはやったけど、それがボーダーに届いているかはわからん!」という感想でした。
 ただ、模試というか想定問題などでサクサク解いていた知識分野の問題が、やはり本番ということもあって少し慎重に時間をかけすぎてしまった感じはしました。知能分野は2,3問を除き正解している自信はありました。

 9月15日、1次試験の結果発表がありました。結果は無事合格。
1次試験の時には琉大が試験場だったのですが、共通教育棟をほぼ全て埋めた(ウワサに聞くと、沖縄地区で受験希望したはずが九州で受けることになった人もいたとか?)800人以上?いた受験者は、1次試験終了時点で98名ほどにまでなっていました。

 その後、初めて書く履歴書や面接の練習のため、琉大の就職課に2週間ほど頻繁に通っていました。

-- 大学事務2次試験(集団討論) --

 2次試験は、まず集団討論が10月1日にありました。集団討論についての説明は省くとして、お題は「大学における障害者支援の在り方について」というもので、討論直前、集合時にあらかじめ進行役、タイムキーパー、発表者、書記などを決めておく方式でした。自分は特に役職を持ちませんでした。書記と発表者は同じとしました。

11:30 集合時間。7人の班だったはずが、1人来なかったため6人で。はきはきした人が進行役になり、発表者は社会人の女性となった。

11:45 討論開始。30分間を自由に使え、最後は発表者がまとめを発表して終わる。

 感想としては、
マイナス点:
(全体)討論の内容が表面的だった。まとめが少し雑だった。最後あたりに時間が余ってしまって沈黙の時があった。
(自分)人の言葉にかぶせてしゃべってしまった時があった。変な意見を出してしまった。もにょもにょしていたと思う(←当時のメモより。なんじゃこりゃ)
プラス点:
(全体)リーダー・進行役がはきはきしていた。最初は意見が多く出た。ホワイトボードを活用できた。
(自分)光っていると思う意見・ツッコミを言えた。障害の定義付けを提案できた。一般的な内容になっていく話の流れの中で、大学ならではの、という言葉を口に出せた

 …などなどがあります。これは全てぼく個人の感想なので、本当にプラスだったのか、マイナスだったのか、は分かりません。

 そして同日19:50分頃電話が来て、集団討論合格との報を頂きました。
最終面接の日程と時間が教えられ、2次試験(集団討論)は終了。


 合格の通知の電話を18時~22時までの間にする、ということは、一人あたりの電話の時間を5分~10分とすると、24~48人。
 最終面接は10月2日、5日、7日、8日のいずれかに行うとのことだったので、1日あたり面接できる人数を5~10人とすると、20~40人。

 という感じで、集団討論を通ったのは30人前後と見て良いかな、などと考えていました。
最終的に取る人数は告知されていたもので13人。倍率は2~3倍かな……という感じですね。実際のところどうだったのかは分かりませんが…。

-- 大学事務2次試験(最終面接) --

 自分の面接は10月5日に行われました。
集団討論は木曜で、金曜の琉大就職課はもう埋まっており、土日は閉まっていて、次の月曜日が面接の日だったので、結局面接の練習はこれ以上できませんでした。

 面接では3対1で(もちろん自分が1)、向かって左の人が全体的な進行役、中央の人が本命の質問役、右側の人が一般的な質問役という感じでした。
 自分はやはり、「このまま研究職に行った方がいいんじゃないの」という感じのことをけっこう何度も言われました。研究への思いは確かに強いのですが、それをどうやって事務へと昇華させたのかを説明・納得させられなかった感がありました…。
 右の人は、部活のことなどをサラッと聞いてきたりしました。

 最後に左の人がこんな質問を。「働くことと仕事をすることの違いは何ですか」
ん?は?っとなってしまいました。同じじゃないかと。何とか答えを絞り出して答えましたが、これへおそらく、回答内容よりも、反応を見るための質問という感じがしましたね…。

 一番最後にこちらから質問することができたので、これからの財源獲得のためにどういう人材が欲しいのか、という話や、先ほどの「働くことと仕事をすることの~~」を逆質問したりして終わりました。

 手応えとしては、やはり中央の人の質問に全てが集約されていた気がします。
自分は研究協力関係のところで働きたい、と言ったのですが、「では経理や総務など、そこ以外のところに配属されたらどうしますか」という質問に、素が出てしまって、「直接研究には関係なくとも間接的に関われているのでモチベーションは保てると思います」とか何とかいってしまった気がします。 モチベーションてあかんやん。

 結果は19日までに電話連絡する、と言われたのですが、実際はその週のうちに来ていたようですね…。某巨大掲示板にその情報を見たのは19日のこと。前に見て無くて良かった、と思った次第であります。

 そう、最終面接に落ちてしまったのです。


-- 北〇備と中〇村役場 --

 大学事務を一番に考えていましたが、せっかく公務員試験用の勉強をしてきたんだからな…ということで、市町村役場の受験も視野に入れていました。
 沖縄県内には居たい、ということで離島から北部までいろいろ探してみましたが、やはり自分が入学当初から住んでいる所が思い入れも深いし、最近開発で琉大東口周辺も賑やかになってるし…というわけで、中〇村(一応隠します)を受験することにしました。この時点ではまだ大学事務の結果はわかっていません。

 村役場は、1次試験(筆記)→小論文→面接という感じで、小論文と面接との間に日数は空きますが、小論文終了段階ではまだ合否は決まらないようです。(1次試験さえ通っていれば、小論文がどのような出来であれ最後の面接にまでいける)

 村役場を受験するにあたり、「住所用件」というものがあり、これはその村に在住している人しか受験できない、というものでした。
1次試験は無事通過でき、約40人いた受験者のうち5名に滑り込むことに成功しました。

 その後、2次試験に必要な書類として、”住所要件を確認できるもの”が必要だったのですが、実は僕は住民票はまだ地元に置いてあり、沖縄には無かったんですね。

 一応、そういうことも1次試験が始まる前に電話で問い合わせてはいたのですが、どのような書類を出したら良いか、もう一度問い合わせてみたところ微妙な反応が…。
 「もう一度、後日お電話しますね」と言われてから5日間ほど音沙汰がなかったので、(あっ、これはもう駄目なやつなんじゃね…)と思いました。

 というわけで、もう残っている手札が無かったので那覇にある新卒ハローワークに行ってきました。
そこで、九州地区で強い某北〇州予備校のチューター(ホームルームの管理など、担任のような役割)の沖縄校での募集を見つけ、連絡を入れました。

 こちらは、書類選考→面接→筆記試験、という順番になっていました。
幸運なことに、書類が向こうに届いたと思われる段階ですぐに電話がかかってきました。
そして面接の日時を決定しました。

 その後、村役場から電話が入り、借りているアパートの賃貸契約書のコピーを提出することにより、そちらも受験可能ということになりました。
 もともと役場が駄目そうだったので〇予備を受けようとしていたのですが、手札復活ということで、そちらをどうしようかと悩みました。(役場の方が個人的には良いと思っていました)

 時系列としては、

北予〇の面接

役場の小論文

役場の面接

 だったので、悩んだ挙句、予備校には正直に全部を話しました。
沖縄校の担当の方はとても良い人で、役場の結果が出るまで最後の筆記試験は待ってくれると言ってもらえました。つまり、面接はOKだということ…!
「是非来てほしいけれども…役場かぁ…そうだよねぇ…」と言ってくれました。ありがたいことです。

 そして、村役場の小論文に臨みました。
小論の題は、「村の職員として地域住民のために貢献できることを書きなさい」みたいな感じだったと思います。メモをするのを忘れてしまいました。

 字数は1000字で制限時間は60分。
村についての下調べ・情報を得ることに夢中になってしまい、小論文対策は全然できていませんでした。最初の30分を使って文章を考えて下書きし、残り30分できれいに書く…という作戦をとったのですが、失敗でしたね。最後に時間が足りなくなり、後半の字が汚くなってしまいました。内容もそんなに…全然…というものでした。

 そして面接。お偉い人たちが6人ほど並ぶ部屋で一人で受け答えしました。
「沖縄のいいと思うところは?悪いと思うところは?」の質問をはじめ、小論文で書いた内容への言及、生物系だけどそれをどういう方向に活かせるのか、という話などなどをした記憶があります。面接自体は、そんなに変なところもなく終わったと思います。
 …いや、最初の「沖縄で悪いと思うところは?」の返答が駄目だったかもしれません。県民性とかの話をした記憶が。村職員があんな考えを持っていていいのか?

 結果は…、まぁ落ちました。小論文も満足にできていなかったですし、面接では上記のようなことを口走ったので……。原因を聞ければいいんですけどね。

 残された手札は1枚、北予〇。
役場を落ちた旨を沖縄校の人に伝えると、先方はめちゃくちゃ驚いていました。
そして後日筆記試験を受けました。これは、自分の得意な科目を1つ受けるものでした。僕はもちろん生物を選択。試験自体はセンター模試のようなもので、60分ほどの時間で終わりました。出来はまぁ、普通に大丈夫かな、という感じ。腎臓あたりの知識が抜けていたので、80点か70点かといったところかな…


-- 名〇大学事務と美ら〇財団事務と北〇備 --

 さて、北〇備は結果待ちという状況になりましたが、いかんせん手札が1枚だけでは不安というもの。この時点で2015年も終わりを迎えつつありましたが、まだ募集を出しているところはあるのでしょうか?

 ありました。
名護にある公立大学「〇桜大学」の事務と、美ら海水族館等を管理する本部にある「美〇島財団」。こちらは植物系と事務系の募集が出ていたのですが、自分は動物系の人間なので事務を選択しました。

 時系列で書いていきますね。丁寧語も面倒なので外すときもあります(ケータイのメモを参考にしつつ書きます)

1月21日 美〇島財団1次試験
 一般教養。60名ほどが受験していた。SPIのような試験だった。

1月24日 名〇大学事務1次試験
 13時に開く。一般教養。公務員試験よりはSPI試験に近い。70人ほどが受験していた。

1月28日 北予〇の内定(電話)
 沖縄校から電話が入り、内定が決まったとのこと!!いえーい。
 3月にはバイトとして入り引継ぎ等を行ってから、4月から正社員になれると言われました。

 ち な み に この通話はとても嬉しかったし、証拠にもなると思ったので、録音して保存しておきました。(※以降で重要になります)

1月31日 〇ら島財団2次試験
 1次を通ったのは12名でした(事務のみの人数)。2次試験は小論文で、題は「当財団がお客様に提供できる新しいサービスを提案しなさい」というものだった。1200字90分。
 これは役場の時と比べ、時間配分も内容もいい感じに書けたと思う。海洋博記念公園はよく遊びに行っていたし、水族館以外の施設についてもよく知っていたので。

2月5日 北〇備から最終面接の連絡
 あれ??????????おかしくないですか???????????
何が何だかよくわからないけれども、福岡にある本部で最終面接が行われることになりました。
沖縄校の人は、「普通にしてたら落ちないよ、今、沖縄校で欠員出てるし」みたいな感じに言ってくれたけれども、僕としてはあれ????ですよね。
 ちなみに航空券代は向こうが出してくれました。福岡行きは23日に。

2月14日 〇桜大学2次試験
 午前中に小論文、午後に面接。小論文は「あなたが最近興味を持った社会での出来事について考えを800字以内で述べよ」。80分の制限時間。
 面接は1人10分程度で、一人ずつ受験番号順だった。最後の方の番号の人は待っている間暇そうだったな…。
内容は、「学生や保護者とどう向き合うか」「大学で何がしたいか」「コミュニケーション能力を5点満点で採点すると自分は何点か。またその理由は」「自己研鑽していることはあるか?なければ何がしたいか?」などだった。

 1次試験を受けた約70名のうち、突破したのは15名。2次試験を受けに来たのは12名だった。
小論文は、論理的な書き方を徹底したが、選んだ内容と主張がまずかったかもしれない。面接では、内容はともかく、滑舌がとても悪かった記憶がある。

2月23日 〇予備最終面接
 福岡へ飛ぶ。
一度オーケーの電話をもらっているのに、なぜだ?飛行機と新幹線のチケット代は向こうが出してくれているが、どうも手切れ金の代わりのような気がしてならない。

 面接では、沖縄校と同じようなこと(志望動機など)や、さらに突っ込んで、博士課程の話や、沖縄以外に配属された場合どうするか、といったこと、はたまた彼女がいるのかどうかという結構個人的な話にまでなった。
 感触は変ではなかったけれども、これで落とされたらシャレにならんでぇ…と思った。

2月24日 美ら〇財団3次試験
 12名→8名になっていた。1人辞退してこの人数になったらしい。
面接では、最初の自己PRで詰まってしまったのを筆頭に、真ん中の一番お偉いさんっぽい人に、「どうして事務なの?」「研究したいなら、水族館に契約社員として入ってからいろいろできるけど?」「院卒の人を入れたことあるんだけど、すぐ辞めちゃったんだよね」などと言われてしまった。
 圧迫面接なのか?しかし研究→事務へ行く確固たる理由を説明できなかったのも確かではある……。とりあえず感触としては最悪であった。


-- 結果編 --
 きれいに全滅であった。
2月26日 〇ら島財団
 4人が通った模様。僕はもちろん落ちていた。まぁあの面接で通そうとする人はいないよな…

2月29日(たぶん) 名〇大学
 封筒が入っていて、すわ!!と思いきや落ちていた。
2次試験から時間が経ちすぎていた。もし通っていたのならすぐに通知を送って、違うところへ行く可能性を減らすだろうから、1週間以上連絡がなかった時点でなんとなく察していた。

3月16日 北〇備
 時間が経って3月に入っています。13日~16日の間、実家に帰省していた。いろいろあって、タイミングがこの時にしかなかったんですよね。
 沖縄に帰ってきて郵便受けを覗くと封筒が!!いえーい!やっと文書で来たぜー。と思いつつ部屋で開くと…

 落ちてました。
あれ?僕、書類選考→面接→筆記試験と受けて、内定の電話も貰いましたよね?(※録音もしてます)
ハローワークの紹介で行ったんだけど、そこの紙にも最終面接とか書いてませんでしたよね?筆記で終わりって説明されたけど?
何故に?

 沖縄校の人に電話を入れるとめちゃくちゃ驚いていました。(演技ではないと信じたい…)
沖縄で欠員が出ていて、かつ沖縄で最後まで受けた人がおそらく僕だけのようだったので、一度問い合わせてくれるとは言ってくれましたが…。音沙汰はそれ以降ありませんでした。おそらく本社というか本部がいきなり入れてきたんだろうな…という感じでした。

 しかし、一度決定したはずの内定を無くすとは…。通話録音でゴネルこともできそうですが、その時点で僕に余裕はありませんでした。

 どうしてかって?
今まで書いてきたことからわかる通り、M2での就活は前戦全敗。大学院修士を修了した後、うんこニートへとジョブチェンジしてしまうことが決定してしまったのですから。


-- --

 …というわけではありません。

「こんなこともあろうかと」保険として受けていた”博士課程”は通っていました。
修士での研究の成果報告と、博士での研究計画を教授たちに発表するという試験はあったのですが、無事通っていました。

 本来は、「仕事をしつつ、長期履修制度を利用して6か年計画で博士号取得を目指す」ために受けていたのですが、まさか、何かしらの身分を保持するため、学生の博士として2016年度を開始してしまうとは夢にも思っていませんでした。


-- 総評 --

・「こんなこともあろうかと」はかなり大事。可能性は広げられるだけ広げておいた方が良い。

・やはり研究から事務系への転向は僕には難しいようだと思った。
自分のやりたいことは研究活動だし、すべてにおいて「長期履修で博士号を取得したい、趣味的にでもいいから研究したい」と正直に言っていたのだが、それが向こうの評価のマイナスになっていたと思う。事務に目を付けたのも、”パソコンがまぁふつうに使えるし、事務系の仕事ならすぐ適応できるだろう”という消極的な理由だった。
 そして何より僕にコミュニケーション能力が足りないこと、滑舌も悪いことが一番の原因だったのでは?と思う。


そんな感じで終わってしまった2015年度(修士2年次)の就職活動。
博士課程に進むことになった24歳男性!
どうなってしまうのか!?


 という感じで締めさせていただきます。
冒頭でも書きましたが、「就職活動記2」の記事を5月(来月)くらいになったらアップします。
そのことからわかるかもしれませんが、何かいい方向に進んだんだな、ということを察して頂けると嬉しいです。

 それでは!
お久しぶりです。前回のこのブログの更新から約半年。僕は普段通り元気でやっています。(ツイッターにはほぼ毎日何かしらの書き込みをしているのですが…)

 まずは、最近の話でも書いていきましょうか。

 研究について。
 順調といえば順調で、先日、組織学的な実験について(オカヤドカリに関しては)当初予定分を全て終了し、グラフまで作成できました。先生に見せたところ、まだチラホラを改善点はあったものの、大体は良い感じだとなったのでまぁよかったかな、という感じです。
 とりあえずは、修士論文を書き始められる状態にはなっているので一安心です。あとは今夏に少し、追加実験(観察)をするくらいかな…。

 4月になって新・1年次が琉大内でも見られるようになってきました。
 先週、研究室の先輩につれられて、生物系の子が研究室にやってきました。彼らは若くてまだ18歳…、もう5歳も年齢が離れているのですね。自分も入学した当時は、あのように若々しかったのかなぁ…とふと思ったりもします。

 生物系の話をすると、今年は倍率が高かったらしいです。僕の頃は2倍ちょっとだったのが3倍後半くらいにまでなっていたとか。先生は「いい学生が入ってくるから、これは良い傾向だね」と言っていました。5年でけっこう環境って変わるものなんですね。

 このブログは高校1年の頃からやっており、受験関係のこともそこそこ書いてあるので、生物系志望の受験生が検索で見つける、というパターンもあるようですが……、「昔の情報」だということを踏まえて読んでいただけるとありがたいです。または、「生物系入った後の未来の姿」が分かる情報源になる可能性もありますね。


 吹奏楽部も、新入部員がいっぱい入ってくると良いですねぇ。僕はもうあまり行くことは無くなった(あ、でも卒業式の演奏には乗ったや)のですが、最初のほうに数回顔を出そうかな、とか思ったり思わなかったり。
 僕は大学入学当初、吹奏楽部に入るつもりは全く無く、楽器も実家に置いてきたのですが、入学式の時の琉大吹奏の演奏を聴いて、「ここなら楽しく楽器が吹けそうだ」と感じて、入部を決断したのでした。懐かしい…。

 でも今年は、管弦楽団(通称”オケさん”)が入学式演奏の担当だったので、吹奏の演奏が聴けるのは「学科結成式」か「サークルオリエンテーション」の時くらいですかねぇ。生協前で演奏するかもしれません。
 まぁもし、この文章を読んでいる方で楽器をやっていた方は琉大吹奏への入部も考えてみて下さいね、とOBの立場から書かせてもらいます。


 さて、近況はこのくらいにして、前回の更新からの大きな出来事を幾つか書いていきます。

・研究室に3年次が配属
 後期開始直後くらいに正式に配属が決まり、3年次が6名(だったかな?)入ってきたのでした。
そのうちの3名の顔や雰囲気がとても似ていて、最近までは見分けるのに苦労しました(というか見分けられていなかった)。この代は、院への進学希望の人が多いので、これからが楽しみですね。
 また、歓迎のための新歓が宜野座村のペンションで行なわれました。これは4年次の中間発表も兼ねていたので、食事にありつけるのが結構遅かった覚えがあります。配属されたばかりの3年次には、1年先をゆく専門性の高い4年次の研究にはちんぷんかんぷんだったかもしれませんが、大丈夫、分かるようになります……とか言ってみたり。僕が3年次の頃は「何してるのか全然わかんねぇ」となっていました。

・演奏会3つ
 「5大学合同演奏会」(10/19)、「ウインドオーケストラオリオン 第3回定期演奏会」(11/8)、「琉球大学吹奏楽部第48回定期演奏会」(12/14)
がそれぞれ行なわれました。
 合同演奏会では、僕は各大学(琉大)のステージだけに乗り、合同ステージは客席から聴いていたのですが、100人越えの演奏は圧巻でした。「カッパドキア」という曲が特に良かったですね~。
…と思っていたのですが、後から録音だけを聴いてみると、生で見たときほどの感動は無かったです。うん、生で聴けてよかった!

 オリオンの定演は3回目を数え、入場者数も過去最高を記録しました。次回はホールを別の場所にして行なうとのこと。成長している一般団体っぽくて僕は好きです。
 この定演、僕は正団員として初めて乗ったことになりますね(第2回は賛助として参加)。そろそろ入団して1年か…、いつの間にか時間が過ぎていました。
 2部のアンサンブルでは、当時団員だった4名(全員)のクラリネットメンバーで「ファンタジア」を演奏したのが印象深いですね。出来はともかくとして(あれ?)、練習や本番は楽しかったです。
Web担当として、。(聴き映えするところを選んだ)ダイジェストムービーも作ってみたので、よろしければ見て下さいね。



 そして、琉大吹奏の定演。基本的に琉大吹奏は3年次の12月のこの定演を境に引退し、新体制へと移行します。自分が3年次だった時の1年次が3年次・引退となるのを見ると感慨深いものがありました。
 僕がお気に入りの曲は、1部の最後に演奏された「落下流穂(らっかりゅうすい)」。雰囲気がたまらなく好きです。

・友達が来沖
 鹿児島と大分にそれぞれ帰った、琉大吹奏の同期2人が休みを利用して沖縄に遊びに来てくれました。僕の家で年次会を開いたり、ボウリングで遊んだり居酒屋で飲んだりと、久々に懐かしいメンバーで懐かしい気持ちに浸れました。
 ちょうど、中城城跡で「プロジェクションマッピング」が行なわれていたので見に行ったのですが……、メインより前の歌などが多く長かったり、プロジェクションマッピング自体も、城壁跡を使うこと自体に難があったりと、ちょっとだけ期待はずれでした。あと寒かったです。あと帰りの混みようが半端じゃなかったです。考えてみれば、元はお城ですからね…多方向から一気に入れるようには出来ていないのです。


 あとは、家族が年末に来沖してそのまま一緒に正月に帰省したり(2012-13年と同じパターン)、



↑ 久しぶりに雪を見ました

研究会で鹿児島まで行って発表をしたり、



↑ 鹿児島大学にて

交通事故にあったネコを助け、新しい飼い主(知り合い)の元に届けるために久米島へ行ったり、



↑ 名前はグレー。人なつこくておとなしい、かわいい鳴き声のネコ。元気でやってくれ

卒業式の演奏に琉大吹奏として参加したり、琉大附属中の演奏会にオリオンとして参加したり、「メリーウインドアンサンブル」のミニコンサートに賛助として参加したり、

……まぁ、いろいろありました。
研究室の自分の机が移動してより良い感じのスペースになったりとか、



↑ これはお下がりでもらったモニター。持ってきたノートPCを接続してデュアル画面で作業ができます

自宅のPC環境がトリプルモニターになったりとか、



↑ これまたお下がりでもらったモニター2枚とモニターアームで。母艦はノートPCで2画面同時出力までしか対応していないので、左側はUSB-VGAアダプターを買い足して表示させました

などなど、PC/研究環境などもアップグレードされています。頑張るぞー!


 今回はこんな感じの更新でした。
書くことが多くなったり書ききれなかったりしてしまうので、できれば1ヶ月毎の更新にしたいなぁとかは思うのですがね…、さて、出来るかどうかはお楽しみということで。

では!
その1(講義についてつらつらと)
その2(琉大吹奏&オリオンのお話)
その3(研究関係のお話)
の続きです。

 さてさて、いろいろ書いていましたが、真っ先に書くべき大きなことを書いていませんでした。

・引っ越し
 そうです。2010年に沖縄にやってきた時からずっと住んでいたアパートを最近引っ越したのです。原因は…お恥ずかしながらペットでございます。ばれちゃったんですね。
 今は、ペット可の物件で前よりも広い部屋で快適に過ごしております。お気に入りは、窓を背にして、部屋を一望できるパソコンデスク。テレビをディスプレイ代わりにしてノートパソコンの画面を表示させ、外付けキーボードで快適に作業を行っております。



↑ デスク。カービィは、1年次の後輩からお土産にもらった3Dパズルです。



↑ 愛猫の「しま」。しっぽの模様がしましまなので「しま」。

 もともと、お部屋大好きインドア人間なのですが、それがさらに加速されてしまいそうですね。学校に行かねば。


・ゴールドラビリンス
 これはお遊びですね。恩納村のガラス工房の2階にある「ゴールドラビリンス」へ行ってきました。
 入場料650円を払い、専用しまぞうりを貰って、手袋を付けていざ迷路へ。

 中は鏡張りの迷路で、色とりどりのLEDで照らされていました、壁に激突する寸前、自分の姿が出てくるのでビックリしますね。 ところどころは、足下も鏡になっていて自分が浮いているかのような錯覚もありました。あれですね。これは酔う人は酔ってしまいますね。自分は大丈夫でしたが…
 広さはそれほどなかったのですが、とても楽しかったです。あと、時折出てくるシーサーなどの置物が怖かったです。



 果たしてこれは「ゴールド」ラビリンスなのか、とか、何故途中に置物が出てくるのか、など疑問はありましたが…。特筆すべきはしまぞうり。実は、沖縄5年目にしてこれまでしまぞうりを持っていなかったのです。やっとこさゲットです。


 そんな感じですかね。今回はいろいろ書きたいことが溜まっていたので多かったですね!
 ではでは、またの更新の機会まで!
その1(講義についてつらつらと)
その2(琉大吹奏&オリオンのお話)
の続きです。

 さて、研究のご紹介でもしましょうか。
僕が興味を持っているのはザッッッッッックリ申し上げますと「オカヤドカリの放幼性行動のリズム性」です。

 オカヤドカリはご存じでしょうか。その名の通り、陸に生息しているヤドカリたちのことですね。
日本では、沖縄や小笠原諸島などの暖かいところにしか棲んでいません。
 陸生…なのは良いのですが、彼らの子供(以降は幼生と書きます)は、海のヤドカリ達と同じくプランクトンなので、親のオカヤドカリは時期になると幼生を放つため、海に降りなくてはいけません。(以降、放幼生)
 で、ここが面白いのですが、「放幼生をする日は、新月と満月が多い」という現象です。

 生物が月に合わせて生殖活動を行うのは、サンゴの一斉産卵などで有名ですかね。オカヤドカリ達は新月や満月に幼生を放つらしいのです。新月や満月は「大潮」と呼ばれる、最満潮と再干潮の潮位の差が大きい時で、そこで幼生を放つのは分散という点で利にかなっています。

 僕が興味を持っているのは、「陸にいるオカヤドカリ達が、どうやって月の状態を判断しているのか」、もっと突き詰めて書くと「どういった環境からの情報を利用して月の状態を判断しているのか」ということで、
 これを解明できたらいいな……もしくは、解明できなくとも、後世にオカヤドカリ達に興味を持った人が出た時に研究の手助けとなる基礎的な情報の蓄積ができればな、と思っています。

 ま、研究のことなので結果などをバンバン書いてよいのかどうか分からないので書かないでおきますが、結構楽しいです……が、まだまだ頭を悩まされる所もあります。

 夏の時期は特に忙しく、行動観察やサンプリングなどが大量にあったため大変でした。10月に入ってから大分スケジュールに空きができたので、後はサンプル処理などなどですかね…頑張ります。


 別の話ですが、9月21~25日に瀬底実習がありました。
この実習は2,3年次を対象にしたもので、毎年この時期に瀬底島で行われています。今回僕はTA(ティーチング・アシスタント)として、監督やお手伝い、そして自分の研究紹介などをしました。
 恩納村での行動観察があったりなどなどして3往復くらいしましたが、実習は結構楽しかったと思います。懐かしいですね……ついこの間だと思っていた学部生時代が…遠くなっているような。


 こんな感じですかね。最近思うのがこのブログのお名前。「夜の気配」。
研究に密接に関係しているかもしれないこの言葉を、高校1年だった僕は選んでるんですね。何だか感慨深いです。
その1(講義についてつらつらと)
の続きです。

 さて、吹奏楽のお話です。
僕は中1からクラリネットを吹いているので、今はもう11年目ですね。長い。これはひとえに、いろいろな場所で楽器を吹ける機会に恵まれている他ならないのですが、果たしてこのキャリアほどの腕はあるのかどうか…?

 大学に入ってから琉球大学吹奏楽部に所属し、変わらずクラリネットを吹いていました。時折、別団体や高校の賛助などもしてきました…がコミュニケーション能力の圧倒的不足により、やはり琉大吹奏からは大きく離れませんでしたね。

 琉大吹奏は、毎年12月に定期演奏会を開いており、学部3年次の定演出演を境に引退・部長や各係などの長を2年次に引き継ぎ、新体制発足…という感じになっているのでした。
 もちろん、3年次の1月以降や4年次になっても賛助という形でイベントなどの演奏に参加したりはできます。特に4年次の定期演奏会は、卒業を目前に控えた同期達や、長いつきあいの後輩達と同じ舞台で演奏できる最後の機会になるのでほぼ全員参加といったところです。

 さて、自分のような院生はというと…まぁ人によりますね。
ちょっとだけ顔を出してくれる方もいれば、演奏する機会がある毎にひょいひょい来る人もおります。僕は後者ですね。コンクール以外のイベントには大体楽器を持ってはせ参じております。直近では、琉大祭のステージ演奏でも若々しくクラリネットを吹いておりました。

 で…、ここからは琉大吹奏伝統のネタバレになるので、書いてしまって良いのかは分からないのですが、面白かったので書いてしまいましょう。

 琉大吹奏ではほぼ毎年、院生の1年次が新入生の学部1年次に混じって「入部」し、5月頭の合宿で正体をバラす、というドッキリが行われているのです。
 そのため、2~3年次の部員は「先輩なのにため口で話しかける」という背徳感を味わったり、院生本人は「ウソをついている」という後悔と「正体をばらした時のビックリした表情を心待ちにする」という楽しみの間で板挟みになれます。(メリットか?)

 ま、結果から言うと、僕ともう一人だけいた院生の同期(農学研究科)が潜りこみ、数人の例外を除いては5月まで隠し通せてドッキリ大成功、といった感じでした…かね。 ばらした後は謝りまくりました。特に僕はその見た目から「二浪設定」を採用しており、浪人してきた新入生達にはとても悪いことをしてしまいました。

 それでも、そのおかげで1年次達と仲良くなれ、車持ちという都合の良さからアッシー(死語)として使われまくられましたので、良かったちゃあ良かったかもしれませんね。


 琉大吹奏のお話はこのくらいにして、オリオンの話を。
オリオン。正式名称を「ウィンドオーケストラ オリオン」という、吹奏楽の一般団体です。社会人を主体とした団体で、結成から今年で3年ですかね。

 オリオンとの関わりは深く、…というか、団員に琉大吹奏出身者が多く、顔見知りもそこそこいらっしゃるので、なじみやすいですね。他に、沖国大出身の方もいらっしゃいますし、最近はFacebookページを見てやってきた、という方も多くいらっしゃいます。

 僕は去年の12月に賛助(お手伝い)としてオリオンの定演に乗ってから、入団する決意が湧き(実はこれまでにも誘われていました)、入ってしまいました。
それから今まで、琉大吹奏ではフレッシュな1年次(5月以降は年長者なのに顔を出す図々しい奴)、オリオンではフレッシュな院生(確かにオリオンの中では若い)としてちょいちょいと演奏していました。
 オリオンでも様々なイベントに参加し、またビーチパーティなどのお遊びでも楽しみました。これからの発展が楽しみな団体ですね。ちなみに、Web更新係を仰せつかり、Facebookの更新をちょいちょいと行っております。

 直近でのイベントは…
・5大学合同演奏会(10月19日)
 琉大、沖国大、沖大、名桜大、高専の5校の吹奏楽部が集まる大規模な演奏会。100人を超える「合同ステージ」と、各大学のステージがあります。僕は琉大ステージのみ乗ります。

・オリオン定期演奏会(11月8日)
 ウィンドオーケストラ オリオンの3回目の定期演奏会です。1部に大曲、2部にアンサンブル、3部にポップス、という構成です。現在、火曜・土曜に練習を行っています。

・琉大吹奏定期演奏会(12月14日)
 琉大吹奏の定演ですね。僕が3年次だった時の1年次が3年次になっていて(ややこしい)、その最後の舞台なのでしっかり見届けてあげたいですね。久しく会っていない4年次の後輩達や、仲良くなった1,2年次達と演奏できるのも楽しみです。

 そんな感じでしょうか。
これからも吹奏楽は続けていくと思います。もっと上手くなりたいなー、とか思いつつその為の練習はしないという駄目なパターン……!

 では、本日3つめ、「いろいろなお話」にいきたいと思います。
お久しぶりです。前回の更新からちょうど半年。ブログのことは忘れていたり時々思い出したり…という感じでした。まぁ細々とでも続けていければな、と思います。

 4月から修士1年が始まりました。院生ですよ院生。昔は、スゴイ人なんだなと思っていましたが、実際なってみると、「自分で自分を高める行動をしていなければ何もスゴくない」ですね。しかも、生物系は未来が……。

 それはそうと、講義について書いておきます。気になるお方もいらっしゃるのではないでしょうか。
学部生の講義は、基本的に必修+専門+選択科目+共通教育(一般教養科目)から構成されていました。1年次や2年次の間は共通教育(社会学やスポーツなど)や選択科目(物理や化学、微積など)が多く、年次が上がるにつれ(生物系では2,3年次)、専門科目が増えていき、最終的には必修(卒業研究)だけになると。

 院生の講義は、いわゆる学部3年次くらいの状態がずっと続く感じですかね。
必修科目(…とは名ばかりの、講義として登録だけしておいて自分の研究をできる)+専門科目(選択性)という。
専門は、いろいろなジャンル(生態学や生産学などなど)から選べます。先生によって楽なものやそうでないものがあるのは学部生時代と変わらないですね。情報が出回ったり…。
 基本的に「自分の研究と絡めて、その先生の分野に関連した論文を紹介する」というものが多いです。もちろん、普通の講義形式で進めていく先生もいらっしゃいます。

 さて、その専門科目をいくつ履修しなければいけないかというと、「6つ」。2年間で6つだけ取れば良いのです。少ない。
 僕は前期で4つを履修し、その全てで評価Aをいただけたので(別にこれは自慢できない…おそらく皆そう)、あと後期で2つ履修すればコンプリート!というわけです。 ま、院生なので自分の研究に集中しろ、というわけですね。

 さてさて、題名からも分かる通り、いくつか話題があるので記事を分けてみました。その1はこのくらいで。次は吹奏楽関係のオハナシを書いていこうと思います。

では!
こんばんは、4月に入りましたね。今年度もよろしくお願いします。
さて、7日間の帰省から沖縄へ帰ってきました。帰省中は実家で漫画「鬼灯の冷徹」を読んだり、家族で温泉へ旅行に行ったりとエンジョイしていました。

 空港からは後輩の車で琉大へと帰ってきました。「沖縄か…何もかも、皆、懐かしい……」
その後、サンプリング(昨日が新月だったのですが、沖縄にいなかったもので…)へ行き、学校へヤドカリ達を置いてから授業時間配当表の冊子を受け取り、部活へ少し顔を出しました。そう、入学式のアトラクション演奏の練習のためです。

 入学式が始まるまでの間、隔年で琉球大学吹奏楽部と管弦楽団がアトラクション演奏を行うのですが、今年は吹奏の年なのです。現在、部員数が少ないため、院1年次である自分もピンチヒッターとして演奏することになったのでした。
 しかし、自分が参加する入学式のアトラクション演奏を自分で吹くというのもおもしろいことですね。不思議な感じ?


 練習の後、先輩を空港まで送ってからダウンしました。
沖縄へ帰る前から少し怪しかったのですが、体調があまりよろしくないのです。熱はありませんが…。
 それで、夜まで部屋で寝ていましたとさ。レトルトおかゆが備蓄してあってよかったです。


 明日は、朝に後輩達と釣りに行ったり、夕方に先生と修士の研究計画について話し合ったりします。
「卒論で出た結果、そこから修士でやりたいこと・研究の計画」を考えておかねばなりません。大体は書きだしてあるのですが、最後のチェックをせねば。

 吹奏楽部の同期は殆どが就職なのですが、LINEのグループでそれ関係の話をしているのを見ると、謎の疎外感を感じます。いえ、謎ではないのですが……。
 院の2年間で、どれだけ自分の価値を高められるか。それは自分の努力にかかっています。研究を頑張らねば。あと英語も苦手なのでやらないとなぁ…。

 ではでは、今回の記事はこのあたりで。風邪には要注意です。一人暮らしの風邪は辛いですね。
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1991/09/04

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研究員 兼 大学院生

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一介の社会人 兼、博士課程2年次(長期履修中)です。

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