ご無沙汰しております。
このブログのことはチラホラと思い出してはいたのですが、なかなか書く習慣がなかったもので、放置してしまっていました…(;・∀・)
今自分は、年末年始ということで実家に帰省してのんびり過ごしております。
そういうわけで、ブログ記事も書けそうな感じですねー。
さてさて、今年の更新は
・「
就職活動記1(または、2015年度のまとめ)」
・「
2016.3.21~25 修士卒業旅行!(九州北上) 」
の2本で、このブログの記録としては、修士2年の段階で就活が決まらず、そのまま九州縦断北上の卒業旅行を決行した、という報告で止まっているわけです。
Twitterの方には逐一いろいろ書いているのですが、それを自分で後から見返すこともしないし、何より余分な情報量が多くて大変なので、こちらにまとめて書こうと思います。
- - 就活体験記2 - - 卒業旅行終了後、僕は、念のため受けておいた博士課程にそのまま進むことにしました。
その理由は大きく分けて2つあり、まず、「身分を持たないまま彷徨うのが嫌だったから」で、内部進学だったので入学金等が必要なかったことから、学生の身分を維持しておくためという部分がありました。
そして、やはり「沖縄に来たのは、オカヤドカリの研究がしたかったから」という理由があり、こうなったのは研究者になるための運命だったからではないか…と思った、ということでした。
(それにしては、学振も通っていないし、理学的な興味すぎる研究=水産など人類の繁栄に直接の利益がある研究ではないことから、生活基盤をどうするか、という問題はあるのですが)
旅行から帰った時点で、「ドクターに進みつつ、就活は並行しておこなう」ということは決めており、様々なウェブサイト等を見て、情報を集めていました。
とある医療系の企業で研究職を募集しているのをWebページで見つけ、履歴書を封筒で送った後の日、それとは別の企業(水産系の案内役など)にいくつか目星をつけ、ハローワークに紹介状を貰いに行こうとした道中のことです。
もうハロワが本当に目と鼻の先に来たところで、最初の封筒を送った企業から電話が入ってきて、面接の日程を組んでもらうことができました。正直ハロワで紹介してもらおうとしていた企業は気が乗らなかったので、その日はそのままお家に引き返しました。
そして忘れもしない4月5日、琉大の入学式の日です。
僕は面接用のスーツに着替え、時間的余裕があったので、まずは琉大の入学式を見に行きました。
吹奏楽部の後輩たちがアトラクション演奏を行っているからです。
一応、自分もD1の新入生ではあったのですが、入学生用の席では無く、保護者席で演奏を聞いた後、面接へと向かいました。
面接では都合上、いきなり社長さんと、上司となる男性の方との2対1の形式で、様々な話を率直にしました。…沖縄に来た理由や、その企業に目をつけた理由(環境や生物系では無くて医療系な理由)など、そしてできれば博士課程でオカヤドカリの研究も同時におこないたいことなど。
なんとその場で良い返事をいただくことができました。
Skypeで本社と繋ぎ、挨拶?をしたりなどなどしましたが、その時の方が画面越しだったこともあり緊張したような…。
その後、来客の準備を手伝ったりなんかしたりもしました。
今思えば、博士課程で、職業とは全く別の研究をさせてくれる企業というのはかなり珍しい気がします。
公務員系や某財団でも、面接時に正直に全て言っていたのですが、普通はそういう人は取らないような…そんなことが少しわかった気がしました。偶然、懐の深い企業を見つけることができたのは「縁」的な何かがあったからなのかもしれません。
今現在、世間で騒がれているような「ブラック企業」ではなく、僕自身の精神状態も入社前から持っている普段通りのものですので、良い企業に巡り会えたと思っています。
面接終了後、琉大で新入生説明会があったのでそのまま帰りました。
道中、親にすぐ報告したのですが、喜んでもらえました。(ただ、北予○の件があったので、まだ完全に安心しているという感じではなかったですが…、それは僕もです)
研究室に戻った時にも、先生に報告を入れ、博士課程はそのまま継続するということを伝えました。
D1では長期履修制度が(申請のタイミング上)使えなかったので、D1は普通の学生として。そしてD2とD3は制度を使いそれぞれ倍々に伸ばし、「D1×1, D2×2, D3×2」の計5ヵ年計画で博士号取得を目指すことを決定しました。
そして、1年目はまず仕事に慣れるために、研究活動は行わず、修論の英語化をすすめることと博士研究計画を練ることをおこなうことにしました。
後日、会社で打ち合わせが4/11にあった時に、内定通知書を渡してもらい、無事入社決定の証拠を入手することができました。
- - 本社研修(5月) - - GW終了後の5/9に正式に入社しました。
そして、関東にある本社で1ヶ月間の研修を受けました。
会社がマンスリーマンションを借りてくれて、そこに研修中はずっと住んでいたのですが、
夜23時になると横のおっさんのイビキが薄い壁を通じて聞こえてくること、風呂の排水口が最初詰まっていて清掃に来てもらわなくちゃいけなかったこと、建物が結構古かったこと、部屋が一人暮らしするのにギリギリな広さだったこと、フライパン等の食器類がなかったため実家からのホットプレートや現地調達した紙皿で対応するしかなかったこと、そしてしまが居ないこと、を除けば、
商店街も活気づいていて、本社へのアクセスもそこそこ良く、場所としては良かったなぁ…、と思います。また唐揚げを買いに行きたい。(マンスリーマンションはもう結構ですが…。)
研修と言っても、研修担当会社が入ってきて人格否定されるような感じのものではなく、(ニュースを見すぎてかなり身構えていました)、普通にできることをお手伝いするような感じでした。
今でも思い出せます、
入社初日に1時間早く来たら誰も来て無くて、始業10分前に人が来るまでずっと前で待っていたこと、
上司に「一番大事な仕事をお願いしよう」と言われて、ラジオを流すことのを任されたこと(緊張しているのをわかって言ってくれたのだと思います)、
本社で終業後、空きっ腹にお酒を入れてかなり酔ってしまったこと、
後は論文翻訳したりとかシュレッダーしたりとかテプラ作ったりとかある事業の提案書をまとめたりとか……。もはや懐かしい。
後は、終業後に琉大吹奏の先輩と待ち合わせてお酒を飲んだり、休みの日に後輩たちと江ノ島や熱海まで遊びに言ったり、一人で山梨までレンタカーでドライブして温泉旅館に泊まってのんびりしたりなどなど、結構エンジョイしておりました。↑ 知らないおばちゃんが写り込んでしまっている…。
そして研修は無事終了し、沖縄に帰ることができたのでした。
- - 沖縄でのお仕事、そして車乗り換えなどなど - - 6月頭に帰沖しました。
そうそう、僕が居ない間しまのいるアパートには、琉大吹奏の1つ下の後輩が住んでくれて部屋の維持管理およびしまのお世話をしてくれていました。
帰った時、1ヶ月ぶりだというのに普段通りの対応で笑ってしまいました。
忘れ去られていなくてよかった。( ´ ▽ ` )ノ
所属していた吹奏楽の一般団体「ウインドオーケストラオリオン」は、職が見つかるまで4月から休団していたのですが、研修が1ヶ月間あるということで帰沖後に復帰しました。
そして、車についてです。
就職も無事に決まったことだし、さらには部活をしていた時と比べて大型楽器も載せないし、一人で乗ることの方が多くなっていたので、この機会に少し小さな車に乗り換えることにしました。
実は車種には検討をつけていて、3月の帰省時点で試乗したりはしていたのですが、例の(北○備の)一件があってからは凍結してしまっていたという経緯もあります。
乗り換えのための準備は研修のあった5月中にしており、
新しい車側の話ではディーラーと保険や受け渡し方法や日時、その他諸々の話をしたり、
古い車側の話では、運良く車を探している後輩が居たので、彼に受け渡すための話を進めていたりと、我ながら色々頑張って動いていました。まぁ自分のことなんですけれど。
沖縄に帰ってきたその足で空港からタクシーでディーラーまで赴き、そこで受け取ったNew車に乗って自宅まで帰ったのでした。
12月末の現在、その車は半年と少ししか経っていないのにもかかわらず走行距離が10000 kmを超え、なかなか楽しくドライブしております。(通勤でも結構使っているけれど)
仕事では、研究職らしいことを沖縄に来てから始められ、6月中にいきなり対外的なプレゼンを任されたりなど、色々頑張っていました。
- - 夏季休暇や出張の話、そして石垣など - -
夏季休暇は、夏季期間中、5日間を自由に取得できるということで、今回はつなぎ合わせて実家に帰省しました。4月に一度帰っていたのですが、社会人になってから初めての帰省です。名刺も渡せて、やっと大人になったんだなぁ、と自分で実感していた覚えがあります。
大阪のカービィカフェにも行けて満足まんぞく。
出張は実は結構数多く、頻繁に飛んでいるのですが、だいたい1泊2日の日程で済むことが多く、個人的には助かっています。
移動自体は確かに体力も時間も消費して大変ですが、なにぶん、僕は家にしまを置いていっているので、あまり長期間部屋を開けることができません。
それが、1泊2日ならば、餌を少し多く入れておくだけで、誰かに面倒を見てもらう必要も無く対応できます。1泊2日バンザイ。
9月、琉大吹奏の同期たちと石垣島へ遊びに行きました。 きれいな海をグラスボートで見れたり、竹富島で水牛車に乗ったりなど、エンジョイしまくりました。
そして、東京のカービィ・ミュージアムや国立科学博物館に行くために深夜便に乗って0泊2日を強行したり(終電を逃して時間を潰すために一晩中歩いたりなどの思い出も…)などなど、旅行にも行ったりしました。
さて、そのような激動の2016年でした。
今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
来年は、まずオカヤドカリの採集許可申請を出したり、長期履修の申請を出したりするところから始まり、研究を行うための準備が動き出します。
目標は、仕事と研究の両立。大変そうですが、自分で選んだ&選ぶことのできた道です。覚悟を持って臨んでいきます。
実際、仕事も面白いし、生活のためのお金を自分で稼いでいるということも生きがいになっていますが、オカヤドカリの研究を続けられるということも嬉しい生きがいです。そのどちらを失っても、今の僕はいろいろ厳しい状況になる気がします。
急いで書いていたので、後からちょくちょく直すかもしれませんが、今日のところはこのくらいで!
では!
2016. 12. 31. 0:55
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