父方の祖父が今朝方亡くなったらしいです。
……僕の誕生をかなり喜んでくれた……らしい。
(男だったから、というようなニュアンスも聞きましたが…)
…祖父が僕に進ませたかったであろう道。
でも、僕にはしたいことがある。「そちら」にはもう興味はない。力もない。自分よりできる弟がちゃんとやってくれるだろう。
…が、いくら確固たる考えを持っていても、やはり本人の前では言いにくい。期待してくれているだろう人には言いにくい。
そう思って、最後(といってもかなり前だが…)に会えたであろう機会を自分から放棄した。
そのことについては後悔…も何もしていない、と思う。
ただ、それだけ。
死ぬ、ということについて少し考えてみた。
もし、今ここで自分が死んでしまうとすると、何を思うだろうか…。
琉大に行きたかった?
もっと様々なものとの出会い、可能性があった?
FF8の全部のイベントを見たかった?
いろいろ考えても、それは全て「まだやりたいことがある」。
じゃあ、祖父はどうだったのだろう。
どうなんだろう。
生きるだけ生きて満足した?
…いや、たぶんそれはないだろう。
想像だけれども。
しかし、果たして「生きるだけ生きて満足だ」と言って死を迎えられる人がいるだろうか。
…おそらく、誰もいない。
貧しい人は、お金に困らなかったらよかったなぁ、と少なからず思うだろうし、
貧しくない人も、もっとしたいことはあるだろう。
今まさに死にたい、と思って自殺しようとしている人も、自分がこんな境遇じゃなかったら…と考えるだろう。
死にゆく人の気持ちはさておき、
「死ぬのは怖いか?」
という質問。
これについて僕は、
(死ぬときは死ぬ。生きられるときは生きられる)
と考えている。
だから、怖い…とは思わないはず。
残る気持ちは、さっき書いた「まだやりたいことがある」だと思う。
「生きたい!」
と思って死の淵から這い上がってこられるならば皆そうするはず。
しかし、それでは世代が替わらない。
死にゆくものは死に、生まれるものは生まれる。それが普通。
FF8の中でスコールが
「俺は過去形にされるのは御免だからな!」
と言う場面がある。
賢かった、優しかった、厳しかった……。
それが過去形。
それは「現在進行形」から外されたものへ対する、見方。
「御免だからな!」
といくら言っても、死ぬときは死ぬ。生きられるときは生きられる。それは変わらないと思う。
……何か、言いたいこと、考えたことを書き連ねていっただけなので、文章にまとまりがないかと思います…。まさに「思考流出」。
…まぁ、「その時の気持ち」ということで。
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