書きたい書きたいと思っていた、3月5日~7日の行程で家族総出で行った沖縄旅行についてです。
過去記事をこういう形で書くことは、実は以前にもやってます。
2年前の定演の時とか。
まずは、この旅行の話の前に、「2次試験編」でのことを書いておかねばなりません。
「
母が僕の下宿を探しに来てくれていた」…などと当時書いていたのですが、用意のいい(気が早いともいう)母は、もうほとんど下宿先を決めていました。
僕も、26日にその部屋を見たのですが、一介の男子学生には十分すぎるほどの装備と環境でした。(残念ながら海は見えませんが…)
で、「親がいた」おかげか、案内してくれたおじさん…いや、おにいさんからもいい印象を持たれたようで、部屋をキープしてもらうことに成功しました。
わかりきっていることですが、まだ僕の合否はこの時点では分かっていません。
で、ここで時は飛んで3月5日。
ちなみに、2月28日に教習所に入所、教習は3月1日から早速始まっていました。
くどいようですが、ここでもまだ僕の合否はわかっていません。
3月6日の朝早くの関空発の飛行機で沖縄へ行くことが決まっていたので、5日の夜に父の車の運転で関西国際空港近くのホテル「ゲートタワーホテル」に行き、そこで宿泊。
東横インよりも1人あたり1泊の値段は安いのに、明らかに東横インよりも高級な感じを醸し出しているホテルでした。
↑ ロビーはこんな感じ。豪華。
↑ 夜景。I.C.(インターチェンジ)もきれいだったので撮影したのですが、ブレブレで、とてもUPできるようなものではありません。

↑ ケータイで撮ったのは、暗いけどまだ見られるもの…ですかね。
この日は「今日の天気」だけを普通に更新した のですが、内心
(こんな中身のない文章、書いてる気分じゃないな…)
と思っていました。
で、6日の朝。バスで関空まで行き、飛行機に乗りました。
…と、機器の故障(防雹装置…だったかな?)により、いったん乗った乗客は全て出されました。こんなの初めてです。
↑ こりゃ珍しい。
配られたリンゴジュースを飲んだりしながら待つこと1時間余り、ようやく搭乗が許可されました。そして順調に(?)離陸。
またしても僕は離陸の際、夢の中にいたので、気がついたら空の上でした。
機内サービスでは、確かコンソメスープを頼んだと思います。

↑ 機内から。これが一番よくとれた写真です。
そして那覇空港に到着。
前期試験から1週間ほどでまた沖縄に来るとは…。
気のせいか、以前より暑い気がしました。
送迎バスに乗り、まずはレンタカーを借りました。
曜日のせいか時期のせいか、人がかなり多かったです。

↑ レンタカーを借りるところ付近。木の上のレストラン…をイメージか。

↑ とりあえず青空の写真は撮る。……でも内心は受かってるかどうかでビクビク。
で、まずは僕の下宿先を紹介してくれた(?)住宅屋さんに向かい、部屋の鍵を借りました。
そして下宿先のマンションへ向かい、部屋の寸法をチェック。
↑ えーと、カーテンはと…。
次は、ニトリに寄り、家具を選ぶ。
その次はヤマダ電器(だったかな?)に寄り、電化製品をチェック。
くどいようですが、まだ僕の合否は分かっていません。
その日は、那覇の泊港近くのホテルに泊まりました。
↑ 泊港。
↑ マンゴージュース。これが最後の晩餐…にならなくてよかった。
↑ 「かりゆし」はこんな字なんですね。
その夜は、僕にしてはかなり珍しく、全然寝付けませんでした。
いったん寝たと思ってもまた起きたり…。
(今までの努力が全て明日の結果に出る…。さすがに緊張しないわけはないな……)
と自分で分かっていたので、みょんみょんと(?)夜を過ごしました。
7日の朝。
この日は家族を2つの班に分けて行動しました。
内容は…
・「確認班」…結果確認~下宿先の説明を聞き、鍵をもらう~合流
・「家具班」…ニトリで家具をカゴに入れ待機~合格していたら購入~下宿先で待機~合流
…という感じ。
ちなみに不合格だったら、下宿の話はおじゃん、カゴ満載の家具は元の場所に、余った時間は美ら海水族館へ…という計画でした。
僕はもちろん前者の班に母とともに所属。
まずは家族全員で琉大東口までいき(父の運転で)、僕たちを降ろす。
そこからは上記のような計画。
…ちなみに移動中の車内では極度の緊張におそわれていました。
iPodでFF8のボス戦闘曲「Force Your Way」などを聞き、気持ちを奮い立たせていました。
東口で降りた後、合格発表が行われる、法文学部近くの「文系総合研究棟」へ。
裏に回ると広場があり、そこにフリップを入れる枠組み(?)みたいなものが設置されていました。
小雨が降っていたので近くの建物の中に避難し、時間を待ちました。
発表時間である11時の10分前、僕は外に出て掲示板前まで歩きました。
周りの人も集まり始めています。
…と、ワゴン車が1台来て、掲示板の下で止まりました。
(あの中に結果があるんだな…)
待つこと数分、合格発表が始まりました。
…フリップのようなものを枠組みに入れるのですが、最初は手間取っていました。
最初のには「平成22年度入学者選抜試験合格者を発表する」…みたいなことが書いてありました。
で、最初に発表されたのは…、法文学部だったかな…?
急に胴上げが始まったりしていました。静かに帰って行く人もいました。
その後、観光資源学部、教育学部、とフリップが入れられていき(順番や名前はうろ覚えです…)、とうとう理学部の数理科学科が。
……。
そして生物系が……!!
番号を最初から見ていくと…。
あった!!!
結構最初の方の番号だったので、わりとすぐ分かりました。
↑ じゃじゃーん!ヤフー!ぱふぱふー!!
そして、したことは…。
(1)自分の結果がどうであれ、僕の合格メールを送っても大丈夫そうな友達5人にメール。
(2)もとすけさんに電話。
(3)高校に電話。
その後、すぐにその場を後にし、住宅屋さんへ。
↑ 合格発表の場は、こんな感じ。
ちなみに、父と弟を含む親族には母親が連絡してくれました。
下宿先の説明を小1時間聞き、鍵を借りていざマンションへ。
…と、その前に昼食。
父と弟と合流し、和風亭で食べました。
で、下宿先へ。
買ってもらっておいた家具などを設置。
…「設置」と書くと、かなり簡単なように見えますが、実際は大変でした。
特に疲れたのが、テレビ台とカラーボックス(本棚)。
(安いな~)と思っていたら、中身はほとんど自分で作るものでした。
持参しておいたドライバーがむちゃくちゃ役に立ちました。というかドライバーなしじゃ無理です。
電化製品も、小型のものは買って、設置しました。テレビとか。途中で父親が車で買いに行ってくれました。
大型の電化製品(ベッド、冷蔵庫、洗濯機、デスク)や、電器屋よりも安いもの(ドライヤー)は生協で揃えることに。
↑ 新生活の準備はやや終了!緑系の色が好きなので、結構部屋の中は緑です。
で、飛行機の出発の時間が迫っていたので、急いで鍵を住宅屋さんに返し(鍵を持っていると家賃が発生するので)、那覇空港へとレンタカーで帰っていきました。
↑ 「最強ってwww」などと言いながら写真を撮る余裕も。…でも走る車の中から撮るのは難しい。しかもケータイだし。ピントがのぼりに合ってしまってます。
↑ 機上で日が暮れました。
で、関西国際空港の「まいどおおきに食堂」で夕食を食べ、父の車の運転で自宅まで。
……本当にお疲れ様です。
仕事や学校の合間をぬって沖縄まで来てくれた父と弟、下宿先をいち早く決めてくれた母親に感謝ですな。
すでに「合格している」という前提で組まれている予定の中で動いていた自分も、褒めてやりたいです。
プレッシャーすごかったですし。
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